弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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スポーツ法

民事法上の違法と刑事法上の違法

1 日大アメフト事件に関して、数社の報道機関から取材を受けました。取材の主題は、タックルをした日大選手に、刑事責任あるいは民事責任が生じるか、というものでした。

記者の方の取材に応じる中で、「違法の相対性」や「法秩序の統一性」について、説明する必要性を痛感しました。

 

2 ある行為に関して、民事法上の責任と刑事法上の責任とが各別の手続きにより問われ、結果的に、民事法上の責任の有無と刑事法上の責任の有無とが一致しない場合があります。

このような相違は、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価との不一致が原因のひとつとなっていることがあります。

では、そもそも、このような違法の評価の不一致が許されるのでしょうか。

 

3 法秩序は可及的に統一的であるべきことを理由として、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価とは一致すべきであるべきだという主張があります。

しかし、民事法における要件・効果と刑事法における要件・効果が異なること、刑事法の補充性・謙抑性として刑罰は最後の手段として補充的に用いられるべきであることからして、違法の評価はできるだけ統一的であることが望ましいものの、民事法で違法と評価されても、刑事法では違法と評価されないこともあり得ると考えるべきです。

なお、民事法上は適法であっても、刑事法上は違法であることを認める立場もありますが、刑法の補充性、謙抑性から、少数説に止まっています。

 

4 以上に述べたことを、日大アメフト事件に関連して検討をしてみます。

実際には、日大選手は、クォーターバックに怪我をさせようとして(本人の記者会見でそのように述べています)反則行為であるタックルに及んでいるため、民事法上も刑事法上も違法であると評価され、責任を負う可能性が高いといえます。

これに対して例えば、日大選手が、クォーターバックがパスをした直後に怪我をさせる意図(故意)がなくタックルをして怪我をさせてしまった場合で、日大選手はタックルをすることを避けようと思えば避けられたケースでは、どうでしょうか。

このケースについて民事法上の責任を考えると、日大選手はパスをした直後とはいえ、ボールを持っていないクォーターバックにタックルしており、その上タックルを避けようと思えば避けられるケースであるため、違法と評価されて(違法性は阻却されず)、過失も認められ、責任を負う可能性があります。これに対して、刑事法上は、先ほど述べた刑事法の補充性、謙抑性の観点から、違法と評価されず、責任を負わない可能が高いと思われます。

このように、民事法上は違法と評価されても刑事法上は違法と評価されない場面が出てきます。

 

5 市民生活を送る上で、違法と評価される行為は、民事法上も刑事法上も統一的であることは分かりやすいですし、望ましいといえます。

しかし、民事においては殆どの場合に最終的に金銭の支払により解決されるのに対し、刑事においては懲役・禁錮(場合によっては死刑).などの重大な刑罰を科せられることを考えれば、この違法の評価の相対性はやむを得ないものといえるのではないでしょうか。

 

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために②〜暴力等不適切行為とその行為者類型〜

 前回は、暴力等不適切行為の発生件数や相談件数について述べました。今回は続いて、暴力等不適切行為とは何であるか、暴力等不適切行為に及ぶ行為者の類型について述べます

 

2 暴力等の不適切な行為とは

暴力等不適切行為には、暴力、暴言、ハラスメント、その他の不適切行為がありますが、それぞれについて見ていきます。

(1) 暴力

暴力は刑法上の「暴行」に該当します。そして「暴行」とは、不法な有形力の行使を指し、殴る、蹴る、叩くなどが典型例で、その他にも、髪の毛を切る、部屋の中で日本刀を振り回す、あるいは石を相手に向かって投げつける(石が当たらない場合も含む)などの行為が「暴行」に該当するとされています。このような行為を行えば、暴行罪の成立の要件(構成要件)に該当するため、極めて例外的な事情(正当防衛など)がない限りは、刑法犯として処罰の対象となります。そして暴行の結果、怪我をさせた場合には傷害罪に該当することになります。

因みに、暴行罪の法定刑は2年以下の懲役又は30万円以下の罰金等であるのに対し、傷害罪の法定刑は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金となり、ぐっと刑罰が重くなることがわかります。

(2) 暴言

暴言は、原則として刑法犯ではありませんが、言葉による暴力として相手の心を傷つけるものですから、当然に許されません。

暴言の内容については、人格を否定する「お前は本当にバカだな」「人間のクズだ」「きもい」、身体的特徴をけなす「ちび」「デブ」、相手を威嚇する「殺すぞ」「ぶっとばすぞ」「しばくぞ」、自尊感情を傷つける「お前みたいなやつはダメだ」、その他差別的内容の発言などがあります。

(3) ハラスメント

ハラスメントとは、他者に対する発言・行動等が、行為者の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えたりすることを指します。

ハラスメントには多くの種類がありますが、スポーツの現場では、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)、パワー・ハラスメント(パワハラ)が主として問題となります。

セクハラとは、相手が不快に思い、又は相手が自身の尊厳を傷つけられたと感じるような性的発言や性的行動を指します。

パワハラとは、地位や人間関係などの優位性を背景に、上下関係の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は周囲の環境を悪化させる行為を指します。

ハラスメントは、「行為者の意図とは関係なく」という点がポイントとなります。行為者が良かれと思って行った言動でも、相手方が嫌だと思えばハランスメントとなります。

(4) その他の不適切な行為

その他の不適切な行為として、他者がいるところで過度の叱責を行うこと、長時間にわたって留め置くこと、能力を超えた練習をさせることなどがあります。

なお、これらの不適切な行為については、指導者と被指導者という関係性からは、パワハラに該当するともいえるでしょう。このことからも分かるように、パワハラに該当する言動の範囲は相当広く、その境界線は曖昧であるといえます。

また、懲戒権については次回に詳しく触れますが、懲戒権の範囲内であるとされる、「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」(東京都「体罰の定義・体罰関連行為のガイドライン」より)などの行為も、懲戒権を有しない指導者の場合、不適切な行為とされる可能性があります。

 

3 暴力等不適切行為に及ぶ行為者類型

(1) 暴力等不適切行為に及ぶ行為者のタイプは4つに分類できるとされ、その4類型とは、①確信犯型、②指導方法不明型、③感情爆発型、④不適切行為嗜好型です(「スポーツにおける真の勝利」エーデル研究所・24頁参照)。

(2) 暴力等不適切行為に及ぶ行為者の4類型

① 確信犯型

暴力等不適切行為を行うことが悪いことではなく、むしろ良いことだと信じているタイプです。なお、「確信犯」は、よく誤解されて、悪いことだと確信しながら犯罪に及ぶ犯罪者を指すと思われていますが、正しくは、良いことだと確信して犯罪に及んでしまう犯罪者のことをいいます。指導の現場では、いまだにこのタイプが少なからず存在します。

② 指導方法不明型

本来、暴力等不適切行為を行わなくても、適切な指導のもと、結果を出すこともできますが、そのような指導方法が分からないため、場合によっては即効性のある暴力等不適切行為に及んでしまうタイプのことをいいます。このタイプの指導者も、現場では少なくないでしょう。

③ 感情爆発型

よく「怒る」と「叱る」とは異なると言われますが、感情爆発型は前者の「怒る」タイプで、自らの感情をコントロールできないタイプを指します。

④ 不適切行為嗜好型

稀にではありますが、不適切行為を嗜好するタイプも存在します。特に、小さな子どもに対し、わいせつな行為をしたり、暴力等により虐待したりすることを嗜好する者がいます。

⑤ 混合型

上記①~④が複数混合したタイプも多いと思われます。

(3) 類型別の対策

①②に対しては、正しい知識を得させた上で、指導の本質を理解させる必要があります。

③に対しては、研修やセラピーにより、感情を制御できるよう、アンガーマネジメントを習得させる必要があるでしょう。

④に対しては、嗜好を改めさせる困難性から考えると、子供を守るという観点(チャイルドプロテクション)から、そのような者を指導者とさせない、という対応もあり得ます。

⑤に対しては、先に述べた対策をミックスして対応することになります。

 

次回以降も、指導者による暴力等不適切行為を根絶するための方策を探っていきます。

 

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために① 〜相談件数の増加について〜

1 本欄では、指導者による暴力、暴言、パワハラ、セクハラ等の不適切な行為(以下「暴力等不適切行為」)をなくすための方策等について、何回かに分けて考えていきたいと思います。

 

私は、(公財)日本体育協会(‪2018年4月1日からは「日本スポーツ協会」に改称されます。)における「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」の運営に関わっていますが、そこに寄せられる暴力等不適切行為の相談件数は微増しています。

 

2 2012年に起きた大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部のキャプテンが指導者の暴力等不適切行為により自殺した事件、および同年に女子柔道日本代表選手が代表監督の暴力等を告発した事件を契機に、スポーツ界から暴力等不適切行為を根絶することが叫ばれ、各スポーツ団体に暴力相談窓口が設置されたり、指導者研修会における啓発活動がなされたりしました。

それにもかかわらず、相談件数が増えており、この理由等について以下で考えます。

 

3 なお、このように相談件数が増加しているからといって、暴力等不適切行為の発生件数までもが増加していると捉えることは早計だと思われます。

その理由は、私自身が指導者研修等で講師を担当した際に受講者の反応をみる限り、指導者側での意識が相当程度高まっていること、発生件数の把握は下記に述べるように容易ではなく、必ずしも相談件数が増えたからといって、発生件数が増えたとまでは言えないことにあります。

 

4  私は、相談件数の増加理由として、発生件数が増えたからというよりは、これまでなら泣き寝入りしていたであろう被害者が告発し始めたことによるものと考えます。

ちなみに、被害者が告発せずに泣き寝入りしていた原因として、以下が考えられます。

一つは、告発することで、加害者が告発者や被害者に対してより暴力等不適切行為を強めることを恐れて、被害者が告発することを躊躇うこと、もう一つは、仮に然るべき責任者、スポーツ団体、学校(以下「被告発者」)などに告発したとしても、加害者が被告発者に近いことも多く、被告発者は加害者から事情を聞いて、調査を終えてしまうことも少なくないことです。

 

5 このような、被害者が告発するためのハードルを越えて、声を上げ始めたのは、あるべき姿に近づきつつあるといえます。

しかし、様々なスポーツ団体において、相談窓口が設置され、また設置されつつあるものの、相談者から信頼される窓口がどれほどあるかといえば、まだそれほど多くないと思います。

相談者や被害者の秘密が守られ、二次被害を可及的に防止する体制、及び「相談→調査→事実認定→処分」という手続きが適正に行われる体制が整っていなければなりません。具体的な体制の構築やその問題点については回を改めて言及します。

そして、このような事後的な救済のみならず、事前に防止することも検討しなければなりません。研修会開催等による啓発を励行し、発生件数の総数を減らすことで、相談件数も減少するよう努めなければならないと考えています。上述したように、私は指導者資格を有する指導者向けの研修会の講師を務めさせていただくことも少なくないのですが、研修会に参加される殆どの指導者の意識は高いといえます。問題は、研修会に参加しようとしない有資格者、或いは参加する必要のない無資格者をどのように啓発していくかですが、資格の有無にかかわらず参加できる研修会開催を企画し、多様な人たちに周知し、参加を促すべきものと考えます。

 

次回以降もこの問題について考えていきます。

 

 

「日本山岳・スポーツクライミング協会の常務理事に就任して」

1 5月28日に公益社団法人 日本山岳・スポーツクライミング協会(以下、「協会」)の常務理事に就任させていただき、2ヶ月弱が経過しました。

 本欄( 「フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について」 )でも書かせていただきましたように、昨年度まで、協会はスポーツクライミングの国内統括団体(National Federation、以下「NF」)であるにもかかわらず、名称にスポーツクライミングの名がなく(従前は「日本山岳協会」)、また理事会には山岳を専門とする役員ばかりでスポーツクライミングを専門とする役員が1人もいないという状況でした。

 ところが、国内外のスポーツクライミングの人気を背景に、昨夏にスポーツクライミングが2020年東京五輪の追加競技となったことを契機として、スポーツクライミングのNFである協会を取り巻く環境が激変しました。この事態に対応すべく、協会は、国際連盟( International Federation of Sport Climbing )の要請に基づき、4月1日に名称を「日本山岳・スポーツクライミング協会」と変更し、また5月28日の総会において、スポーツクライミング系の役員として4名の就任が承認されました。私は、そのスポーツクライミング系の役員の1人です。

 

2 実際に協会の内部に入ってみると、予想どおり課題は山積していました。

 協会の予算は、2015年度は約1億4000万円であり、2年後の今年度(2017年度)には約2億7000万円となり、約2倍となっています。予算の大半は、補助金や協賛金によりますが、NFの運営のための資金としては少額とは言えない額になっているにもかかわらず、決して協会の組織運営は順調とは言えない状況です。

 この問題の核心は、協会が予算規模に合ったガバナンス体制が構築されていないことに尽きると感じています。先に述べたように、私はスポーツクライミング系の役員として協会に入りましたが、最重要の役割は、協会全体を見渡した上でのガバナンス体制の構築だと考えています。現在は、その役割を中心的に担うガバナンス委員会の設置について提案しており、次回理事会に諮ることになっています。

 

3 ガバナンス体制の構築は最優先の課題ですが、その内容は広範囲にわたるため、もう少し具体的な課題について考えてみたいと思います。

 昨年9月に本欄(「スポーツクライミングの隆盛と今後の課題」 )において、①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、③東京五輪のスポーツクライミングのルール、④NFのあり方、⑤スポーツ障害の5点について指摘させていただきました。

 このうち③東京五輪におけるスポーツクライミングのルールについては、既に決定されています。更なる課題は、2024年、2028年の五輪にスポーツクライミングが五輪競技として残れるか、そして、残れた場合にはそのルールをどのようにするか(東京五輪のルールが三種目混合であり特殊であるため、現在ワールドカップで採用されている単種目ごとのルールに準拠するか等)、ということになるでしょう。

 ①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、⑤スポーツ障害については、現に協会でも対策が講じられているか、あるいは、こらから講じられてようとしていますが、より一層の充実を図らなければなりません。

 ④NFのあり方については、本欄で、フリークライミングの両輪であるアウトドア(岩場)でのクライミングと人工壁でのクライミングを統括する団体が必要であると主張させていただきました。現状においては、協会の統括するクライミングから岩場でのフリークライミングが抜け落ちているため、今後は協会が岩場でのフリークライミングをも統括し、フリークライミングの発展に寄与すべきであると考えます。

 

4  私がNFの役員入りをしたことで、これまでアスリート側・クライマー側で仕事をしてきたこともあり、「魂を売りましたね」というようなことを言われることがあります。

 協会入りする前からそのように言われることは十分に予想できましたが、アスリートファースト(クライマーファースト)という私の姿勢は変わりません。

 ただし、アスリートファーストという言葉は多義的であり、「長い目で見ればアスリートのためである」とか、「間接的にアスリートのためである」とかいった意味でも使われます。鋭く対立する者が、双方とも、その意見の根拠としてアスリートファーストを挙げていることも見受けられます。このように、アスリートファーストという言葉は便利な言葉でもある反面、真意の伝わりにくい言葉でもあると言えます。

 フリークライミング(スポーツクライミングを含む)界にとってのアスリートファースト(クライマーファースト)とは何なのか、その内容を具体的に見極めつつ、常に自問し続けていく必要があると考えています。

 

 

 

 

スポーツ中の事故における賠償責任について

1 はじめに
読売新聞(2017.1.13付)の朝刊社会面の記事においてコメントを述べさせていただきました。
その記事は、「サッカー事故で接触の相手が重症   賠償命令に賛否」というタイトルで、社会人サッカーの試合で、30代の男性選手の足に骨折などの重傷を負わせたとして、相手選手に約247万円の支払いを命じた判決(東京地裁2016.12)についてのものでした。その記事の中で、「最近はスポーツを楽しむ権利が重視されてきたことを背景に、ルールの範囲内でも、注意義務違反があれば賠償責任を認める傾向にある。今回はこうした流れに沿った判断だろう」とのコメントをさせていただきました。
紙幅の関係もあり、少し舌足らずなコメントになってしまいましたので、以下補足しながら、述べさせていただきたいと思います。

 

2 ルール内免責説と過失責任説
スポーツ中の事故でスポーツをしている者同士の間で事故があった場合、怪我をさせた人(加害者)は、怪我をした人(被害者)に対して損害賠償責任を負うのでしょうか。この点、大きく分けて二つの考え方があると思われます。
一つは、スポーツにおいて怪我はつきものだから、仮に怪我をしてもそれは自己責任であり、不幸にも他者に怪我をさせても、ルールの範囲内であれば、加害者は責任を負わないとする考え方です。これを以下では、「ルール内免責説(違法性阻却説)」と呼ぶことにします。
もう一つは、ルールの範囲内であったとしても、他者に怪我をさせた以上、過失があることを前提として、加害者は責任を負うとする考え方です。これを以下では、「過失責任説」と呼ぶことにします。

 

3 ママさんバレーボール事故判決
法曹関係者以外の一般の方々では、ルール内免責説の立場を取る人が多いように思われます。
裁判例においても、ルール内免責説に近い考え方に基づくものがあり、最初にそのような考え方を採用した裁判例で、「ママさんバレーボール事故判決」(東京地判昭和45.2.27判タ244・139)と呼ばれるものがあります。
ママさんバレーボールの練習中に、スカートを履いた被告がスパイクしようとして、後退しながらジャンプし、ボールを強打した拍子に重心を失ってよろめき、二、三歩前にのめって相手方コートに入って転倒し、自己の頸部を原告の右足膝部に衝突させ、右膝関節捻挫兼十字靭帯損傷の傷害を負わせたという事案です。
判決では、「一般に、スポーツの競技中に生じた加害行為については、それがそのスポーツのルールに著しく反することがなく、かつ通常予測され許容された動作に起因するものであるときは、そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである」と述べた上で、本件において、スカートは練習で許容されていたと認定し、また被告が転倒することは予測されたとして、「被告の行為は違法性を阻却する」とし、「スポーツが許容された行動範囲で行われる限り、スポーツの特殊性(自他共に多少の危険が伴うこと等)から離れて過失の有無を論ずるのは適切ではない。本件の場合被告にはスポーツによる不法行為を構成するような過失はなかったともいいうる」としました。
この判決はスポーツ中のスポーツを行なっている者同士の事故の場合、加害者がルールに著しく反しない限りは一律に免責されるとするものです。
この事案について、皆さんならどのように考えるでしょうか。結論はともかく、私はその結論を導く論理に問題があると考えます。

 

4 違法性と過失について
ここで、損害賠償責任(不法行為責任)が発生するための要件について、少し説明します。
法的に損害賠償責任が生じるための要件の中には、「違法性」と「過失」があります(なお、学説の中には、違法性を要件としないとするものもあります)。
「違法性」はその有無が判断され、無ければ損害賠償責任が全く生じません(法的には、「違法性が阻却される」といいます)。
これに対して、「過失」は様々な要素を総合考慮して、その有無が判断されるとともに、加害者側の過失と被害者側の過失と比較する場面(過失相殺)でその度合い(過失割合)が考慮されます。
すなわち、違法性が阻却されるか否かの判断は、0か10かの二者択一として判断であるのに対し、過失や過失相殺の判断は、0~10の間で事案に応じて判断がなされます。

 

5 スキー事故最高裁判決
先述のママさんバレーボール事故判決は、後の裁判例に影響を与えましたが、スキーヤー同士の事故についての平成7年の最高裁判決(最判平成7.3.10判タ876・142)がこの流れを変えます。
上方から滑降してきたスキーヤーが下方を滑降していたスキーヤーに衝突した事故において、最高裁は、「スキー場において上方から滑降する者は、前方を注視し、下方を滑降している者の動静に注意して、その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負う」とした上で、被上告人の回避可能性を検討して、「被上告人には前記注意義務を怠った過失があり、上告人が本件事故により被った損害を賠償する責任がある」としました。
本件においては、上方から滑降してきたスキーヤーは、当該ゲレンデのルールの範囲内、すなわち「許容された行動範囲で」(ママさんバレー事件判決から引用)スキーを行なっていたにもかかわらず、最高裁は違法性を阻却することなく、過失の有無を論じた上で、過失の認定を行なっています。

 

6 スキー事故最高裁判例解説(判タ876・142)
更に、この最高裁判例の解説において、「原判決(高裁判決)は、スポーツであるスキーには必然的に危険を伴い、各滑降者は危険があることを認識して滑降していること等を理由に、スキー場における規則やスキーのマナーに反しない方法で滑降していたYの不法行為責任を否定したが、スキー同様に危険を伴い、技量の異なる者が同一の道路を通行する自動車運転の場合を想定してみても、 事故につき不法行為責任を負うか否かは、あくまで民法上認められるべき注意義務違反があるか否かをもって決せられるものであって、道路交通法規等に規定された注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではない」としています。なお、この解説は、最高裁調査官という裁判官によるものとされており、信頼度の非常に高いものです。
この判例解説では、道路交通法規等上の注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではないとしています。これは、道交法に違反することと注意義務に違反することとは異なるということです。例えば道交法に反しないように車を運転していたとしても、他の車と事故を起こせば、道交法を守っていたという理由だけで完全に免責されるわけではないということになります。スポーツ中の事故についても同様で、スポーツのルールの範囲内での事故だからという理由だけで、加害者が一律に責任を負わないとするのは妥当でないと最高裁は考えていると思われます。

 

7  「ルールの範囲内か否か」の法的な意味
ここで、ルールの範囲内であったか否かという事実が、法的にどのような意味を有するのか、考えてみたいと思います。ルールの範囲内であったか否かは、ルール内免責説では当然のこととして、過失責任説でも考慮されます。ただし、その役割の大きさが異なります。
ルール内であれば違法性を阻却するというルール内免責説においては、ルールの範囲内か否かを分水嶺として、責任を0か10かの二者択一のように判断します。
これに対して、過失責任説では、ルールに従っていたか否かは、加害者側の事情として考慮されますが、責任の存否自体を決めてしまうということはありません。
以下では、ルールという概念について検討し、過失責任説においてはルールに従ったということとルールに従わなかったことがどういう意味を持つのかについて考えていきます。

 

8 ルールという概念の曖昧さ
上記のようにルール内免責説では、ルールが重要な役割を果たしますが、基準となるべき「ルール」という概念は非常に曖昧です。
多種多様なスポーツには、それぞれ異なるルールがあります。そして同じスポーツの中でも、プロが真剣勝負で行う場合のルール、レクリエーションとしてスポーツを楽しむ場合のルール、練習中におけるルール(ルールというより、練習方法における取り決めと言った方が正確かもしれません)は異なるといえます。確かに、プロスポーツにおいてはルールブックがあり、そのルールは明確ですが、レクリエーション中でなおかつ練習中の事故においてそのルールは極めて曖昧なものであり、ルールそのものの存否もはっきりとしません。
このように曖昧な概念に基づくルールに従っていたか否かによって、損害賠償責任の有無を二者択一として決するのは、妥当ではないと言わざるを得ないと思います。

 

9 ルールに従わなかったことの意味・ルールに従ったことの意味
このように曖昧といえるルールであっても、過失責任説においても、当該ルールには意味がないわけではありません。
ルールには、①勝敗を決めるためのもの(例:サッカーにおいて同点で試合時間が終了した場合にフリーキックで勝敗を決めること、ゴールに完全に入った場合に得点とすること)、②そのスポーツをスポーツたらしめているもの(例:サッカーで原則として手を使ってはいけないこと)、③危険なプレーとして禁じられているもの(例:サッカーにおいてプレイヤーにスライディングすること)などがあります。
このうち、③のルールに反した場合は、過失が認められる可能性は極めて高いといえますが、①や②のルールに反したとしても、注意義務違反が認められるか否かは事案ごとの判断になると考えられます(なお、①のルールに反する場合で事故が生じることは考えにくいとはいえ、ありえないことではありません)。
それでは反対に、過失責任説において、ルールに従っていたことの意味はどのようなものがあるでしょうか。
ルールに従っていたことは、過失がない方向、注意義務違反がない方向の要素として評価されます。従って、ルールの範囲内でプレーをしていれば、過失が認められないことで賠償責任がないと判断されることもあると考えられます。
しかし、前記最高裁解説が述べていたように、ルールに反したか否かと、注意義務に反したか否か、とは完全に一致するわけではありません。なお、同旨のことを述べた他の判例は以下のように述べています。「過失の有無は、単に競技上の規則に違反したか否かではなく、注意義務違反の有無という観点から判断すべきであり、競技規則は注意義務の内容を定めるに当たっての一つの指針となるにとどまり、規則に違反していないから過失はないとの主張は採用することができない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。

 

10  危険の引受け
前述のママさんバレーボール事故判決においては、「そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾している」とした上で違法性が阻却されるとして、「危険の引受け」を違法性阻却の根拠としています。このように違法性を阻却するとする根拠として、「危険の引受け」が挙げられることが多いといえます。
ママさんバレー事件判決が出た昭和45年ころと比べると、スポーツは広く国民に浸透し、また生涯スポーツとして子供から高齢者までスポーツを楽しめるような環境も整いつつあります。また2011年にはスポーツ基本法が制定され、スポーツが権利として認められ、スポーツの法的な地位も向上しました。さらには2020年には東京五輪を控え、益々のスポーツの興隆が予想されます。
さて、このような状況において、一般の人々がスポーツを楽しもうとする場合に、人々は傷害を負う危険を引き受けているのでしょうか。
私は、仮に被害者が危険を引き受けているとしても、当該スポーツの性質に照らして通常予測できる範囲にとどまるものと考えます。例えば、どのようなスポーツでも擦り傷などの軽傷は通常予測しているといえますが、重傷まで予測しているケースは極めて少ないといえます。
そして、そのような危険の引受けは、違法性を阻却するか否かの場面で考慮するのではなく、過失の認定の場面で過失を認めない方向の要素として考慮する、あるいは過失相殺の場面で被害者側の事情として考慮すべきだと考えます。

 

11 通常想定内免責説
ここで、通常想定できる危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しないとする、ルール内免責説と過失責任説との中間的な通常想定内免責説ともいうべき考え方があります。
ラグビーに関する裁判例に同様の考え方をとったものがあり、「ラグビーの試合に出場する者は、プレーにより通常生ずる範囲の負傷については、その危険を引き受けているものとはいえ、これを超える範囲の危険を引き受けて試合に出場しているものではない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。
しかし、私は、スポーツをする人は一定程度危険を引受けているとしても、違法性阻却を検討するのではなく、過失の判断の中で検討すべきだと考えます。というのも、危険を引き受けているとする通常生ずる範囲の判断が困難なこと、きめ細やかな判断ができる過失の要素として検討すれば足りること、生じた結果から遡ってその違法性阻却の有無を判断することは結果責任に類する考え方であることから妥当でないと考えられるからです。

 

12 過失責任説の妥当性
これまで述べてきたように、過失責任説は、スポーツ中のアスリート同士の事故において、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で他の要素と合わせて考慮することにより、プロのアスリートからレクリエーションで運動する人々まで、試合中の事故から練習中の事故まで、多種多様なスポーツの形態に応じて、きめ細やかな判断ができる、という点で妥当だといえます。そして、そのようにきめ細やかな判断をすることは、損害の公平な分担という不法行為責任の制度趣旨にも資することになります。
これに対して、ルール内免責説は、基準とするルールという概念が極めて曖昧であること、そのような曖昧な概念によって二者択一のように責任の有無を判断することから、妥当性を欠くと考えます。

 

13 裁判例の傾向
先述したスキー事故の最高裁判例から、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で考慮すべきという説をとる裁判官も増えてきているものと考えます。
現に平成7年最判以来、アスリート同士の事故でルール内であったとしても違法性を阻却するとして責任を認めなかった裁判例は、私が検索した限りは見当たりません(東京地判H19.12.17LLI/DB L06235623、東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806など)。なお、先に述べたラグビーの事案の裁判例(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)は折衷的な考え方ですが、少なくともルール内免責説を採用していないことは明らかでしょう。
以上のような裁判例の傾向から、先の讀賣新聞のコメントをさせていただいたという次第なのです。

 

14 最後に
誰しもスポーツをする者は加害者になりうることを自覚した上で、スポーツ中でも、他者に怪我をさせることがないよう注意すべきです。またそのような事故に備えて保険には加入しておくべきでしょう。なお、訴訟にまで至るケースでは、加害者が保険に入っていない、あるいは保険に入っているが使わないケースが殆どです。スポーツをするときには、保険加入をしておくべき時代になっているとも言えます。
反対に、怪我をさせられ被害者となった場合には、スポーツ中の事故だからといって泣き寝入りする必要はありません。あくまで加害者に過失が認められることを前提としますが、損害賠償請求は認められる可能性があります。
一般の人たちは、スポーツマン同士で訴えるなんて、などと言った非難をするかもしれません。しかし、このような言説は、被害者の立場に立っていない言説だと言わざるを得ません。この問題についての理解が広がり、損害の公平な分担が実現することを願います。

 

 

 

スポーツクライミングの隆盛と今後の課題

1 先日放映されたTV番組で、スポーツクライミングに対して張本勲さんの「アッパレ」が出ました。これまで、この番組でスポーツクライミングが何度か取り上げられましたが、いずれもキワモノ的扱いだったので、まともに取り上げられたことに少々驚いてしまいました。

2020年東京五輪での追加競技への採用を契機に、がらりと報道の姿勢が変わり、毎日のようにスポーツクライミングが取り上げられ、クライマーが報道やメディアに登場することは、珍しいことではなくなりました。ほんの2年ほど前に本欄で、「世界の大舞台で日本人クライマーが大活躍しているにもかかわらず、報道では殆ど無視されている」とぼやいたことが、遥か遠い昔のようです( 「世界で活躍する日本人クライマーと報道」 )。

2 張本さんの「アッパレ」の対象は、9月14~18日にパリで行われたスポーツクライミングの世界選手権の男子ボルダリングで楢崎智亜選手(20歳)が優勝し、金メダルを獲得したことや、女子ボルダリングでも、野中生萌選手(19歳)が2位、野口啓代選手(27歳)も3位と健闘したことでした。
世界選手権で日本人が優勝するのは初めてで、過去に優勝できる実力をもつ選手は何人もいたものの優勝を逃し続けていたため、「日本人は世界選手権で勝てない」というジンクスがあるとさえ言われていた中での快挙でした。
日本人クライマーの実力を世界に知らしめたといえるでしょう。

3 このように、スポーツクライミングを巡る環境は激変し、スポーツクライミングが発展する方向に進んでおり、喜ばしいかぎりです。
ただ、今後の課題が全くないかと言われれば、そうではありません。以下、考えられる点を列挙していきます。

(1)  若手クライマーへの啓発について
未成年のスノーボーダーが大麻を使用していた事件やバドミントンのロンドン五輪代表選手2名(26歳、21歳)の違法賭博事件など、若者のアスリートの事件や不祥事が絶えません。
若手クライマーの啓発を早急に行う必要があるでしょう。

(2)  アンチドーピングについて
リオ五輪をめぐりロシアのドーピング問題が盛んに報道されましたが、アンチドーピングは世界的関心事となっています。
一度陽性反応が出て処分されてしまうとアスリートの選手生命に関わると共に、スポーツクライミングという競技に対するイメージを大きく損なうことになります。念には念を入れて、アンチドーピングに取り組まなければなりません。

(3)  東京五輪のスポーツクライミングのルールについて
2020年東京五輪における、スポーツクライミングのルールは、リード、ボルダリング、スピードの三種目の総合で順位を決めるとされていますが、その順位の決め方のルールについては未だ決まっていません。本来的なクライミングという観点からは、スピード競技の比重を他のリード競技、ボルダリング競技よりも軽くすべきとの見解もありますが、その見解が採用されるかも分かりません。
いずれにしても、早急にルールを決めて、4年後に備えて、選手が万全の準備ができるようにしなければなりません。

(4)  国内統括団体(NF)について
前回本欄 (フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について 」 ) でも取り上げたので詳しくは書きませんが、スポーツクライミングのNFとフリークライミングのNFが分断されているという問題です。
岩場でのクライミング(主としてフリークライミング)と人工壁でのクライミング(主としてスポーツクライミング)を分断することなく、両者が相互に高め合うように、NFも協力・統合していく必要があると考えます。

(5)  スポーツ障害について
昨今、スポーツクライミングは若年層が主役となりつつあります。そして、これら若年層のクライマーは日々ハードなトレーニングを積んでいます。クライマーのハードなトレーニングによるスポーツ障害はいまだデータがありませんが、何か対策も講じなければ、スポーツ障害が増加することは間違いのないところだといえます。
スポーツクライミングは、若年層から高齢者まで広く楽しめる生涯スポーツです。生涯にわたってスポーツクライミングを楽しめるように、スポーツ障害の予防、特に若年層のクライマーのスポーツ障害の予防に力を入れなければならないと思います。

4 今後の課題は、上に挙げた課題にとどまりませんが、関係者で協力すれば解決可能なものばかりです。これらの課題をクリアして晴れやかな気持ちで2020年を迎えたいものです。

 

 

フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について

1 スポーツクライミング(英語表記はSport Climbing)が2020年東京五輪の追加競技となりましたこと、関係者の皆様には、心よりお祝い申し上げます。

今後、選手は五輪を目標に高いモチベーションをもってトレーニングを重ね、スポーツクライミング業界は益々発展することと思います。

この大きなニュースの少し前に、スポーツクライミングの国内統括団体(National Federation 、 NF)である公益社団法人日本山岳協会(以下、「日山協」)に対して、スポーツクライミングの国際統括団体(International Federation of Sport Climbing)から、団体名にスポーツクライミングの名称を入れるように要請されたとの報道がありました。
この報道の中で、日山協の役員25人にはスポーツクライミングの専門家は一人もおらず、団体名のみならず組織改革をも迫られているとされています。

この問題について、少し考えてみたいと思います。

2 スポーツクライミングはフリークライミングの中のひとつのカテゴリーです。
フリークライミングとは、できる限り道具を使わずに行うクライミングを指し、スポーツクライミングは、フリークライミングの中でも安全性がより確保されたクライミングを指します。
スポーツクライミングには、岩場での支点が強固であるなど安全性がある程度確保されたクライミングも含まれますが、主として室内の人工壁でのクライミングを指します。

そもそも人工壁は、岩場でのクライミングのトレーニング用の壁として生まれ、発展してきました。
人工壁は、公平・公正な環境を確保するという点で岩場よりも優れているため、現在では人工壁におけるコンペティションが盛んに行われています(過去には岩場でのコンペティションもありましたが今では殆ど姿を消しています)。

そして、クライマーは、人工壁でトレーニングをしたり、コンペティションに出場したりすることで、技術や能力を高め、その高めた技術や能力をもって岩場における高難度のクライミングを実践します。
また、岩場でのクライミングで得た経験や技術は、人工壁にフィードバックされて、より高度な技術や能力を習得することに寄与します。
このことは、人工壁において行われるコンペティションにおいて表彰台に立つようなクライマーは、殆どの場合、岩場でもトップクライマーであることにも表れています。

すなわち、フリークライミングにおける、岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングは、相互に必要不可欠な存在であり、切っても切れない関係にあることがわかります。

3 ここで日本におけるフリークライミングを統括する団体をみてみましょう。

日山協がスポーツクライミングの統括団体である他に、NPO法人日本フリークライミング協会(以下、「JFA」)があります。

JFAは、現在、役員のほぼ全員がフリークライマーであり、従前は国内コンペティションの主催運営をしてきましたが、現在ではコンペティションから手を引き、岩場の整備や岩場利用を巡る折衝等に力を入れています。
JFAは、いわばフリークライミングのうち岩場でのクライミングについて統括しているといえます。
先日、盛んに報道された天然記念物にくさびが打たれたという件で、適切に対応したのはJFAです。

なお、JFAは、法人格を取得しているものの、組織的な位置付けとしては、日山協の加盟団体である公益社団法人東京都山岳連盟の一加盟団体に過ぎません。

4 日山協がスポーツクライミングすなわち人工壁でのクライミングを統括し、JFAが岩場でのクライミングを統括している状況は、フリークライミングの両輪であるはずの岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングが分断されていることを意味します。

このような分断が生じた経緯についてはここでは述べませんが、少なくとも、フリークライマーにとって好ましい状況といえないことは確かです。

現状における、日山協とJFAとのいびつな関係は、フリークライマーの側にも大いに責任があると思いますが、日山協とJFAが、ひとつになることも含めて将来像を描き、お互いに協力し合い、岩場・人工壁でのフリークライミングの発展のために活動をすることを強く希望します。

フリークライマー・ファーストこそが、国内統括団体の存在意義といえるのではないでしょうか。

 

 

 

「天然記念物の岩にくさび」報道について(2022.6.28更新)

1 岐阜県御嵩町鬼岩、石川県白峰百万貫、長野県飯田市天龍峡において、天然記念物の岩や名勝地内の岩にクライミング用のくさびが発見されたと新聞やウェブで報道がなされ、その後TV番組などでも取り上げられています。
なお、このくさびは、当初、ハーケン(主として登るための手がかりとする金具)として報道されましたが、正しくはハンガーボルト・リングボルト(主としてフリークライミングにおいて使用される墜落時の支点となる金具。以下「ボルト」)です。

2 この問題をどのように考えるべきでしょうか。
確かに、天然記念物等の岩に穴を開け、金具を設置すれば、それはやはり好ましくない行為だと評価されても仕方ないのかもしれません。
他方で、岐阜の件のように、最初にボルトが打たれてから、すでに数十年も経過しているものもあり、それはいわば管理者(文化財保護法(以下、単に「法」)119条1項によれば原則として所有者)が「大目に見てくれていた(黙認していた)」といえるかもしれません。
仮に、ボルトの設置が、天然記念物に指定された岩の「現状を変更し、又は保存に影響を及ぼす行為をして、……毀損」(法196条1項)に該当するとすれば、ボルトの設置者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処せられる可能性があります。そして、この毀損行為を数十年にわたり放置していた管理者の管理責任(法119条1項等)を問われる可能性も出てきます。それにもかかわらず、管理者が、これまで長期間ボルトを放置していたことを考えると、ボルトの設置を、好ましいとまではいえないが、毀損ともみなしていなかったと思われます。

3 それでは、なぜこの問題が表面化したのでしょうか。
例えば、天然記念物に落書きをする者は、落書きにより自己表現をしているといえます。これに対して、ボルトを設置したクライマーは、ボルトの設置を自己表現の一手段としていないとは言い切れませんが、クライマーがその岩を登る際の墜落時に備えた支点とすることを主たる目的にしていたといえます。
そのようなボルトが設置されている以上、クライマーがその岩を登っていたはずで、大きさ数センチの数個のボルトよりもクライマーが登っている姿の方がよほど目立ち、目認しやすいはずですから、天然記念物等の岩を登ることが違法かという問題は別として、管理者や地元の人達がボルトの設置のみならずクライミングをも黙認していたことになります。
しかし、ここにきて管理者や地元の人達が声を上げ始めたというのは、それまでクライマーとの関係が悪くなかったものが、クライマー側のコミュニケーション不足などで関係が悪化し、従来は黙認されてきたボルトの設置やクライミングが、見過ごすことができないと判断され、問題が表面化したものだと推察します。
そして、岐阜の件の報道を発端として、ドミノ倒しのように全国の天然記念物等に指定された岩の管理者や地元の人達が声を上げ始めたものと考えられます。

4 ここでクライマーならお気付きかもしれませんが、この問題の本質はアクセス問題にあるといえます。
アクセス問題とは、クライマーが岩にアクセスする際に起こる岩場の使用禁止などの問題を指します。
先に述べた、管理者や地元の人達との関係の悪化こそが、今回の問題の表面化の根本にあり、地元の人達と良好な関係が持続できていれば、今回の問題は起こらなかったのではないでしょうか。
ただ現状において、今回報道された件以外にも、全国の天然記念物等の指定の岩にボルトが設置されている可能性が高く、今後もこのドミノ倒しは続く可能性があります。
これらに対しては、従前から私もアクセス問題について提案させていただいたように、あまり法律や条例を振り回すのではなく、その土地ごとにクライマーが管理者や地元の人達と良好な関係を構築する努力をし、ボルトの設置やクライミングの可否について話し合いを重ねていくべきだと考えます。
そしてそのような話し合いの中で、天然記念物等の指定の有無にかかわらず、岩場という自然が与えてくれた環境と、どのように人が関わっていくべきであるのかを模索していくことが必要であると思います。

クライマーが守るべきは、ボルトではなく、自由に岩を登るという行為そのものなのですから。

 

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【参考】文化財保護法

第2条 この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。

1 ④ 貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとつて歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとつて芸術上又は観賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとつて学術上価値の高いもの(以下「記念物」という。)

第119条 

1 文部科学大臣は、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物(以下「史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。

 文部科学大臣は、前項の規定により指定された史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物(以下「特別史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。

第119条 

1 管理団体がある場合を除いて、史跡名勝天然記念物の所有者は、当該史跡名勝天然記念物の管理及び復旧に当たるものとする。

2 前項の規定により史跡名勝天然記念物の管理に当たる所有者は、当該史跡名勝天然記念物の適切な管理のため必要があるときは、第192条の2第1項に規定する文化財保存活用支援団体その他の適当な者を専ら自己に代わり当該史跡名勝天然記念物の管理の責めに任ずべき者(以下この章及び第187条第1項第3号において「管理責任者」という。)に選任することができる。この場合には、第31条第3項の規定を準用する。

第196条 

1 史跡名勝天然記念物の現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をして、これを滅失し、毀損し、又は衰亡するに至らしめた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。

2 前項に規定する者が当該史跡名勝天然記念物の所有者であるときは、2年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金若しくは科料に処する。

 

 

 

団体の不祥事調査について

1 平成27年12月、広島県の中学3年生が、過去に万引きをしていないにもかかわらず、万引きをしたとする誤った記録に基づいて進路指導を受け、これを苦に自殺したとの報道がありました。
この件では、「誤った記録に基づいて」という点に批判が集まりましたが、生徒は担当教員に対し万引きを認めた後に自殺をしたとされ、生徒がやってもいない万引きを認めたとの学校の調査や事実の認定についても疑義が呈されています。
調査という観点からすれば、前者の万引きという非行事実を誤って記録したことについて、学校側が事実関係を認めているため、調査自体はさして困難を伴いませんが、後者のような、担任教員という言わば学校側の者の言動が問題となった場合に、学校が担任教員の調査を行い、真実を突き止めることは容易ではないといえます。

2 ある団体に属する人の不祥事が疑われ、その所属団体が調査する場合、身内を庇い、調査に手心を加えたり、不祥事となる事実を確認しても批判を恐れて隠ぺいしたりすることが少なくありません。
これらのことを防ぐには、団体と利害関係のない中立性・独立性を有する第三者が調査を行えばよいということになります。
上記の広島の事件では、その後、町教育委員会が第三者委員会を設置し調査を行うと報道されています。

3 では、第三者である機関が調査すると真相が解明されるのでしょうか。
読売ジャイアンツの複数の選手が野球賭博をしていた問題では、NPB(日本野球機構)の調査委員会が調査を行いました。
ジャイアンツはNPBを構成する団体(NPB定款上は「会員」とされる)で、全く無関係の団体であるとみることは難しいものの、別法人ではあるため、ジャイアンツが自ら調査するよりは、第三者性は満たされているといえるでしょう。しかし、NPB調査委員会は、警察の強制捜査のような強制力を伴う調査をすることができず、真相解明に苦慮しているようです。
このように、第三者性が満たされれば、調査の中立性や公正さがある程度保たれ、身内の擁護や事実の隠蔽を防止することはできても、必ずしも真相の解明ができるとは限りません。

4 第三者性を満たす調査委員会に強制力を伴う調査権限を与えれば、問題は解決するのかといえば、そうではありません。
というのも、強制力を伴う調査においては、人身の自由、財産権、プライバシー権、名誉権などの人権を侵害するおそれがあるからです。
そうすると、ここで行き止まりになってしまいます。
では、どのような調査をすればよいのでしょうか。

5 私は団体内部の問題については団体内で処理すべきであり、調査についても団体自ら行うことを原則とすべきと考えます。
団体は団体自らが定めたルールに基づいて運営され、また団体内部の問題についても団体自ら対応・処理するという、いわば団体の自治を原則とし、このことは憲法上保障される結社の自由(21条)に由来します。
また、団体内の事柄は団体が最も把握しているはずで、迅速な調査が期待できます。
ただし、上記の広島の事件やNPBの調査の件で述べたことを踏まえて、(1)調査の中立性・独立性の確保、(2)団体内部にとどまらない案件の調査、(3)真相の解明という点で別途の考慮と手当てが必要となります。
(1) 調査の中立性・独立性の確保
団体自らが調査を行う場合には中立性・独立性が問題になりますが、調査委員には事件と利害関係がない者あるいは全く外部の者を任命することである程度の中立性・独立性は確保されます。そして、不祥事が疑われる事態が生じた後に事後的に対応するのでなく、予め不祥事に関する調査・処分に関するルール作りをしておくことが肝要です。

(2) 団体内部にとどまらない案件の調査
人の命にかかわるような重大案件や、案件の内容・影響が団体内部にとどまらないと判断される案件については、外部の調査機関に依頼することもやむを得ないといえます。

(3) 真相の解明
強制力を伴う調査ができないため真相解明が困難である案件については、先に述べたように人権保障が優先されるため強制力を認めることはできませんが、不祥事に関する自己申告者に対しては団体が処分を軽減すること、情報提供者が団体内で不利な処遇を受けないようにすることも検討されるべきでしょう。
前者の自己申告について、ジャイアンツの野球賭博問題では、NPB調査委員会は、実際に自己申告者に処分軽減を打ち出しましたが、これに応じて自己申告した選手はいなかったことが報じられました。強制力がない以上、自己申告者がないことはある意味仕方のないことですが、真相の解明には自己申告制度を取り入れた方がよいことは確かです。
今後は、人権侵害のおそれを伴わない真相解明の方法について、知恵を出し合っていく必要があります。

6 最後に、広島の事件の報道と同時期に、文部科学省が、学校での授業や登下校時に起きた事故などで子供が亡くなったときの対応について指針案を公表したとの報道がありました(平成28年3月3日、23日朝日新聞)。
水泳授業中の事故や、地震、津波など自然災害、給食アレルギーなどで、幼稚園児、小中学生、高校生らが死亡した場合、学校は3日間をめどに、関係する教職員から聞き取り調査をする。調査結果は遺族等に1週間をめどに報告する。遺族の要望があるか、再発防止の必要があると判断すれば、市町村教育委員会といった学校の設置者が、弁護士や学識経験者で構成する第三者委員会を立ち上げ、原因を調べて報告書をまとめるとされています。
このような重大案件の調査について指針すらなかったことが問題といえるものの、指針が作成されたことは評価すべきものと考えます。とりわけ調査やその報告の迅速性は、特筆されるべきものでしょう。

 

 

 

マラソン代表選考について

1 2016年2月26日付け朝日新聞によれば、福士加代子選手がリオデジャネイロ五輪の女子マラソンの最終選考会を兼ねた名古屋ウィメンズ(3月13日)にエントリーしたことが明らかになりました〈註1〉。

福士選手は、1月の大阪国際女子マラソンで日本陸上競技連盟(以下、「陸連」)の設定記録を突破して優勝したにもかかわらず、代表の「当確」が出なかったため、代表選出をより確実にするために、名古屋ウィメンズにエントリーしたということです。21日、陸連の強化委員長は、福士選手に対して、オリンピックでの活躍を期して、名古屋ウィメンズに「出ることは避けてもらいたい」と呼びかけていましたが、他方で福士選手の当確は約束できないとしていました。

2 なぜ、このようなことが起きたのでしょうか。

2015年6月29日に陸連が発表しているマラソンのリオデジャネイロ五輪代表選考基準( 以下、「選考基準」  http://www.jaaf.or.jp/wp/wp-content/uploads/2015/09/2016daihyo_02.pdf )をみると、非常に複雑で分かりづらいといえます。福士選手は、大阪国際マラソンの優勝した瞬間には代表が当確だと考えたようですが、これも選考基準の複雑さ、不明確さによるものでしょう。
選考基準よれば、選考されるための条件には、内定条件と選定条件とがあります。内定条件をクリアすれば代表は一発で当確となります。これに対して、選定条件の優先条件をクリアしても、その条件に優先順位があるため選考の予想はできるものの、最終的な当確は陸連の様々の要素を考慮した総合的な判断となります。したがって、仮に福士選手が名古屋ウィメンズで優勝しても、選定条件に基づく優先順位が上がり事実上の当確とはなりますが、選考基準に照らせば厳密には当確とはならないのです。すなわち、選定条件をいくら満たしても代表が当確とならないという選考基準ゆえに、選手は陸連の最終的な発表があるまで結果は分からず、その間選手は極めて不安定な立場におかれることになるのです。

また、マラソン特有の問題として、ひとつの大会に参加するとその疲労は甚大であり、回復に時間が掛かることにあります。上述したように、陸連の強化委員長は、代表に選考される可能性が高い福士選手に、その疲労の蓄積を心配して名古屋ウィメンズに出ないように要請したようです。複数の選考会を設ける場合(以下、「複数会選考」)には、ひとつの選考会で不本意な成績でも、他の選考会で挽回して代表を狙うことは可能ですが、マラソンの場合、複数の選考会に出場したことによる疲労を考えると当該選手のオリンピックでの活躍にはマイナスに働く可能性が高いと考えられます。

このように、陸連の選考基準の不明確さとマラソンにおける複数選考会のデメリットが今回の福士選手の問題の原因であるといえます。

3 それでは今後どのような選考基準にすべきでしょうか。

(1) 陸連の裁量を排除し明確化する
選考基準に関して「明確性」という場合に、複雑ではなく単純明快であるという明確性と裁量を排除した明確性という二つの意味が込められていると思われます。たしかに、複雑で分かりにくい選考基準は最適とはいえませんが、複雑であっても一義性があるのであれば、選考基準として問題がありません。ここでの一義性とは、選考基準とアスリートの成績や記録だけから、代表が明らかになることをいい、裁量を排除することも含めた概念を指します。

競技によっては一義性がある選考基準を作成することが難しいものもありますが、マラソンは一義的な選考基準を作成することが可能です。すなわち、マラソンは、個人競技であり、かつタイムという客観的な物差しによって勝敗が決し、審判の主観的採点で勝敗が決まるわけでもなく、また団体競技におけるチーム内での役割・貢献度等の数量化が難しい基準を考慮しなければならないわけでもないので、陸連の裁量を排除した、一義的で明確な選考基準にすることが可能なのです。

それにもかかわらず、陸連の選考基準は複雑で分かりにくいという意味でも明確性を欠き、内定した選手以外は最終的に陸連の裁量による判断となっているという意味でも明確性を欠き、一義性のない基準といえます。

陸連としては、選考の過程でどのような事態が生じるか分からないので、複数会選考方式を取りつつ、裁量の余地を残しておきたいのでしょうが、過去の選考方法や他競技の選考方法を参考にしつつ、あらゆる事態を想定して予め選考基準に盛り込み、裁量を排除すべきです。
これをアスリート側からみれば、外部からその判断過程が見えにくい裁量判断を排除し、複数選考会においても少なくとも最終選考会の終了時には代表は確定する選考基準は、歓迎されるのではないでしょうか。

(2) 一発選考か複数会選考か
一義性、明確性という観点からは、ひとつの選考会で代表を決する一発選考が優れているといえますが、複数会選考においても、裁量を排除した一義性がある基準が作成できます。それでは、一発選考か、複数会選考か、いずれによるのがよいのでしょうか。

先ずは、複数会選考について考えてみましょう。
例えば、代表を3人選考する場合、3試合で日本人最高順位の者を選出するというのが、分かりやすく明確だといえます。ただし、この基準によっても、ひとつの大会に有力選手が集中し、その大会の日本人2位の選手のタイムが他の大会の日本人1位選手よりも良いタイムであることもあり得ると思います。そうだとすれば、3大会を通して、良いタイムを出した選手から3名選ぶということも考えられます。ところが、タイムはそのときの気候やコース等の条件に左右されるため、真の実力が計れないということも指摘されています。
このように順位だけでもタイムだけでも実力が計れないと考えると、両者を組み合わせた複雑な選考基準とならざるを得ません。
なお、一発選考であれば、タイムがそのまま順位に反映されるため、複数会選考におけるようなタイムと順位とのズレを修正する必要もなく、分かりやすく明確な基準といえます。

ただし、複雑で分かりづらくても、一義性を確保できるのであれば、複数会選考でも問題がありません。しかし、マラソンの場合は、その特性である疲労の蓄積という点についても考慮しなければなりません。すなわち、前述のとおり、複数会選考において様々な要素を総合的に判断せざるをえず、その場合にはすべての要素が出揃う最終選考会の終了時まで代表が明らかとならないことになり、アスリートとしては、不確実なオリンピック出場時の疲労を心配することよりも、福士選手のように先ずはオリンピック出場を確実にすることを優先することも十分に考えられます。

そうだとすれば、複数選考会にするとしても、内定条件をより拡大して、選考会毎に内定を出していく方法があると思います。先に挙げた例である、3試合で各々日本人一位の3人を代表として選出する方法が分かり易く明確ですが、この方法のデメリットも先に述べたとおりです。少なくとも、3人の代表のうち2人は内定で必ず決定するようにしておき、残り1人は全ての選考会が終了後決するということも考えられますが、その場合の内定条件の設定は極めて難しく、複雑化するものと考えられます。

以上のようなことを考えると、やはり一発選考がマラソンには適しているといえるのではないでしょうか。

(3) 一発選考のデメリットに対して
一発選考のデメリットとして、選考会において、実力があるとされる選手の調子が悪かったり、直前に怪我をしてしまったりして実力を出せず、そのような選手を選出できないということがあります。しかし、オリンピックも一発勝負です。選考会のその日その時に実力を出せなければ、それは実力がないということになるのではないでしょうか。

また、一発選考であれば、輝かしい成績を残した瀬古利彦選手や高橋尚子選手は代表として選出されていなかった可能性があることが挙げられていますが、当初から一発選考の基準が公表されていればその選考会に合わせて瀬古選手も髙橋選手も調整をしたでしょうし、勝負強い選手であれば、一発選考においても勝負強さを発揮して同じく代表に選出されていたかもしれず、仮定に基づく、確たる根拠があるといはいえない批判だと思います。

 

4 いかにしてオリンピックで勝てるアスリートを選考するかは、永遠に答えの出ない難問です。
陸連が、この答えの出ない難問に挑み続けなければならず、最終的な選考の判断は全てが終った後に様々な要素を考慮して行ないたいとすることも理解できないわけではありません。しかし、選ばれる側のアスリートからすれば、代表に選ばれるためには何をすればよいかということが、予め示され、これに向かってトレーニングを積むということこそが必要であり、不明確な基準のために自らの代表選出に関して余計な神経を使う時間があれば、代表に選ばれた者はオリンピックに向けた準備に費やし、選ばれなかった者は新たな目標に向かって進みたいというのが本音なのではないでしょうか。

以上の検討から、私は一発選考による基準が、選考基準の明確性・一義性という観点から適しており、今回の福士選手のような立場に追いやられる選手が出ないアスリート・ファーストに資する基準であると考えます。

〈註1〉その後、福士選手は名古屋ウィメンズの出場を取りやめました。

 

 

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