弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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コロナ禍とスポーツの価値

1 はじめに

世界的なコロナ禍により、2020年に予定されていた東京五輪が延期となり、その後の緊急事態宣言の発出期間中は、予定されていた殆ど全てのスポーツイベントが中止・延期となり、学校での部活動やクラブチームでのスポーツも休止となりました。

この様な中で、「スポーツがなくても、生活に殆ど影響がない」とか、「スポーツこそが不要不急だ」という方もいれば、「あるスポーツに打ち込んでいたけど、そのスポーツができなくて心身共に不調になった」とか、「プロ野球もJリーグも中止となり、生き甲斐がなくなった」という方もおられることと思います。このように、ステイホーム期間中に、スポーツについて考えたり感じたりしたことは人それぞれでしょう。

そこで本稿では、コロナ禍を契機としてスポーツの価値に変化があるのかないのか、あるとしてどのような変化なのかを考えてみたいと思います。

 

2 そもそもスポーツとは?(スポーツの定義)

コロナ禍とスポーツの価値との関わりを考える前に、そもそも「スポーツ」とは、どのような活動を指すのか考えてみたいと思います。

古くは、スポーツは、本質的な3要素として「プレイ(遊戯)」「闘争」「激しい肉体的活動」を挙げ(ベルナール・ジレ)、その3要素が複合したものとされるなど、スポーツの定義は比較的狭く解されていました。このような3要素を併せ持つスポーツとして、プロスポーツや五輪や世界選手権等でのトップアスリートのパフォーマンスが想起されます。

 

3 スポーツの現代的定義 

スポーツが一部のトップアスリートだけのものではなく、一般市民にとってのものとなるにつれ、一般市民にスポーツ権が認められるようになり、スポーツの定義も広く解されるようになりました。

たとえば、スポーツ基本法前文においては、「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養(かんよう)等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」とされています。

スポーツ基本法は法律であるため、少し分かりにくい表現となっていますが、スポーツ庁のウェブサイトでは、このことを噛み砕いて、次のように説明されています。

スポーツは、「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」(「第二期スポーツ基本計画」)として、「たとえば、朝の体操から何気ない散歩やランニング、気分転換のサイクリングから、家族や気の合う仲間と行くハイキングに海水浴など、その範疇はさまざま。つまり、スポーツとは一部の競技選手や運動に自信がある人だけのものではなく、それぞれの適性や志向に応じて、自由に楽しむことができる『みんなのもの』なのです」とあります。

 

4 現代的定義におけるスポーツの特徴

ここで注目すべきは、「スポーツとは一部の競技選手や運動に自信がある人だけのものではなく、それぞれの適性や志向に応じて、自由に楽しむことができる『みんなのもの』」だとして、朝の体操から何気ない散歩やランニング、気分転換のサイクリングから、家族や気の合う仲間と行くハイキングに海水浴もスポーツだとされている点です。

以上からすると、スポーツの現代的定義は、プロを含めたトップアスリートが世界一を競うものから、子どもや高齢者の散歩やジョギングまでの活動を大きく包括した概念だといえます。

 

5 コロナ禍とスポーツ

コロナ禍の前には、スポーツとしてスポットライトが当たっていたのは、子どもや高齢者の軽い運動というよりは、トップアスリートのパフォーマンスのような狭い解釈におけるスポーツだったように思われます。

その後、コロナ禍が拡大し、緊急事態宣言が発出され、国民の様々な行動の自粛が要請され、トップアスリートにとってのスポーツは自粛を余儀なくされました。

ところが、緊急事態宣言による自粛の対象から、屋外での軽いジョギングや散歩は外され、認められていました。これは、軽いジョギングや散歩といった運動が老若男女を問わず、身体や精神の健康維持・増進のために、人々の生活の中で必要不可欠な行動であると認められた証といえるでしょう。

そして、スポーツの現代的定義によれば、軽いジョギングや散歩もスポーツなのですから、様々な行動の自粛が求められる中で、食べたり、寝たりすることと同様に、人間が生きていく上で不可欠なものとして、スポーツが認められたということになると考えられます。すなわち、コロナ禍によって、スポーツの重要性に焦点が当たったともいえるでしょう。

 

6 おわりに(コロナ禍とスポーツの価値)

スポーツ基本法に規定されたスポーツ権には、スポーツを「する」権利、「みる」権利、「支える」権利が包含されています。

これまで述べてきたように、今回のコロナ禍で、身体や精神の健康維持・増進のために、全国民の「する」スポーツに焦点が当たりました。

そして、歴史上の多くの感染症が収束したように、ある程度の時間を経て、コロナ禍も収束するでしょう。そのときには、トップアスリートのパフォーマンスを満喫することができるようになるはずです。それは、トップアスリートにとっての「する」スポーツ、その他の人々にとっての「みる」「支える」スポーツの復活ともいえます。

そうだとすれば、コロナ禍が収束したときには、一般的な国民にとっての「する」スポーツに、トップアスリートにとっての「する」スポーツやその他の人々にとっての「みる」「支える」スポーツが加わり、このことでスポーツの価値を人々が再認識し、全体としてスポーツの価値は高まっていくと考えられるのではないでしょうか。

 

 

 

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