少年事件
被害者参加・被害者支援
1 被害者参加制度という制度があるのをご存知でしょうか。
不幸にして刑事事件の被害者となる方のほとんどは、まさか自分が被害者になるとは思っておられないと思います。また、犯人が逮捕されても、有罪判決が下されても、懲役が何年になっても、さらに言うと極刑になっても、決して気が晴れることはないものと思います。
私自身は深刻な犯罪の被害者になったことはありませんが、被害者の方々は、それぞれ、その先の人生を生きていくために、何らかの心の整理をつけていくのだと推察します。
そのような心の整理をする手立てとして、刑事手続に参加するという制度があるのでご紹介します。
刑事手続に参加なんて荷が重すぎると思われるかもしれませんが、被害者やその遺族になってしまったときには、捜査段階から公判段階まで、警察や検察に協力を求められます。そのような刑事手続へのいわば消極的な協力という以上に、刑事手続への積極的な関与をすることができます。そのひとつが被害者参加制度です。
2 被害者参加制度を利用すると、検察官に意見を述べたり検察官から説明を受けたりすること、裁判に出席すること、裁判の中で証人に尋問すること、被告人に質問すること、自らの意見を述べることができます。合わせて、刑事記録の許可部分を見ること(閲覧)やコピーをすること(謄写)ができます。
そして、弁護士が、法律の専門家として、被害者参加人をサポートすることができます(被害者参加弁護士)。被害者参加弁護士は、上記に列挙した被害者参加の際にできることを共に行ったり、代わりに行ったりすることができます。
このように、被害者の方は刑事手続に積極的に関与することで、加害者の事情や事件の背景がより深く理解できるでしょうし、たとえ望むような判決でなくとも、何らかの心の整理はできるものと思われます。
なお、この制度は、人の命や身体をわざと(故意に)害するような犯罪や交通事件、性犯罪など、一定の種類の犯罪被害を受けられた方々が利用することかできます。したがって、それ以外の犯罪の被害者の方は被害者参加をすることはできませんが、別の形でサポートを受けることができます(被害者支援)。
3 被害者参加制度の対象事件に含まれないため被害者参加制度を利用できない方でも、対象事件に含まれるが被害者参加制度を利用したくない方でも、被害者支援という形で弁護士のサポートを受けることができます。
被害者支援の内容としては、捜査段階から公判まで刑事手続における付き添い、告訴状の作成、マスコミ対応、加害者との示談交渉や損害賠償請求などのサポートがあります。
被害者参加制度よりは、支援の範囲は狭まってしまうものの、事件と向き合うために有効な手立てだと思います。
なお、警察や検察にも被害者支援の仕組みがあります。しかし、刑事手続においては、警察や検察は被告人の対立当事者となるので、被告人に適正な処罰を受けさせることが主眼となります。したがって、第三者的な立場にある弁護士の方がよりきめ細かいサポートを提供することができるといえます。
4 最後に、これらの制度を利用するに際し、経済的に費用の負担が難しい場合は、公的な援助を受けられる可能性があります。
被害者参加・被害者支援を利用するか否かは、費用の点を含めて、様々の要素を考え合わせて決めるべきことだと思いますが、心の整理をつける、事件と向き合うという意味では意義深い制度だと考えます。
裁判や交渉における「思い」
弁護士は、一方の当事者である依頼者の代理人や弁護人として、当事者の間に入り、依頼者の利益のために働きます。
お金を払って弁護士に依頼する以上、「弁護士に依頼すれば後は弁護士に任せておけばよい」と考えている方も多いと思います。
これは、ある意味で当然のことと思います。
だって、そのためにお金を払っているわけですから。
そのように弁護士にお任せで首尾良くいくこともあります。
ただ、そうでないときもままあります。
裁判にしても交渉にしても、全て人と人との関わりです。
依頼者も人なら、相手方当事者も人、その代理人も人、そしてまた判断者である裁判官も人です。
しかも、そこでは、それぞれの人が真剣勝負をするのです。
裁判や交渉では、それぞれの人の剣の腕前はさることながら、最後の最後は、人の「気合」や「やる気」、すなわち「思い」が物を言うと思うのです。
もし弁護士に依頼して、望みを叶えたいのであれば、弁護士にお任せではなく、弁護士という専門家を使って、「思い」を相手方や判断者にぶつけて、響かせるようにしてはいかがでしょうか。
そうすれば、自ずと結果が伴うことも多くなるでしょうし、例え完全な形での望ましい結果が得られなくても、ある種の満足感は得られると思います。
もちろん、弁護士である私も、依頼者の「思い」を共有して、自分の「思い」をも乗せて、裁判や交渉に臨むようにしたいと思っています。
少年事件について
1 面会を重ねるうちに、少年がみるみる良い方向に変化していく姿を見るにつけて、少年事件にとてもやり甲斐を感じます。他方で、制度自体に様々な違和感を覚えることがあります。
2 少年事件を、成人の刑事事件と較べたとき、その違和感は大きくなります。
世の中では少年の重大犯罪に対する厳罰化が叫ばれ、少年法もその方向に沿って改正され、また今後更に改正されるようです。
少年の重大犯罪に対する厳罰化もある程度は理解できます。しかし、成人であれば軽い犯罪といえる場合でも、少年が少年院送りになるなどして、それは重すぎるだろうと思うときが少なからずあります。
3 例えば、成人の場合、窃盗などの財産犯においては、被害者と示談が成立したり、嘆願書を書いてもらったりすると、「被害者が良いと言ってるんだから、良いだろう」という理屈で、情状面でかなりプラスに作用し、他の情状との関係もありますが、起訴されなかったり、執行猶予が付いたりして身柄拘束を解かれることも少なくありません。
ところが、少年の場合では、仮に示談書や嘆願書があっても、少年の反省が足りないなどとして、更生のために教育する必要があると判断されると、比較的簡単に少年院に入れられてしまいます。そして、少年事件は、成人でいうところの起訴猶予ということがとなく、原則として全ての事件が家庭裁判所に送致されます。しかも、身柄拘束されていた期間を少年院の入院期間に算入されることもないのです。
すなわち、成人であれば起訴猶予になったり執行猶予が付く事案でも、少年であるが故に少年院に行くことがあるのです。
4 以上に述べたことの根底には、少年は未熟でありそれ故に柔軟に更正できるという可塑性があるため、成人とは異なる扱いをするということや、少年院は刑務所と異なり、矯正の教育という目的をもった施設であるということがあります。
しかしながら、一方で少年の厳罰化すなわち教育というよりも処罰という観点から成人と同じような扱いにしようとし、他方で教育という名のもと成人に近付けるどころか成人よりも厳しい処分となることを容認するとすれば、少年事件をめぐる制度は矛盾を孕んだものとなるのであり、これは見過ごせない問題だと思います。
少年事件をめぐる制度全体に、かなりの制度疲労が現れている気がします。
なお、少年院の評価については様々あると思いますが、やはり一度貼られたレッテルは中々とれないという点で、少年の将来に暗い影を落とすことは間違いがないと思います。
5 これまでに述べた議論は立法論の要素が大きくなってしまいました。しかし、運用論としても、裁判所がそれらの事情を踏まえて、柔軟に運用していく必要があるのであり、付添人の弁護士も、裁判所が柔軟に判断するよう絶えず促していく必要があると思うのです。