弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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スポーツ団体の利益相反について②

1 はじめに

前回は、「スポーツ団体の利益相反について①」と題し、利益相反・利益相反取引の定義、一般法人法の定めについて検討しました。今回は、これらに続いて、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(以下「公益認定法」)の定めについて検討を加えます。

 

2 公益認定法による定め

一般法人が公益認定されれば、公益社団法人または公益財団法人(以下まとめて「公益法人」)となります。統括団体(JSPO、JOC、JPSA、JSC)や殆どのNFは公益認定を受けて、公益法人となっています。

そして、公益法人に関する法律として、公益認定法があり、同法は利益相反について直接的に定めているわけではありませんが、近い概念である「特別の利益」の供与に関して、以下のように定めています。
なお、下記の定めは、公益認定の際の要件であるだけでなく、反した場合には公益認定の取消原因となります。
また、公益認定法に関して、施行令及び施行規則が定められているため、併せて参照する必要があります。

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公益認定法

第5条 (公益認定の基準)

行政庁は、前条の認定(以下「公益認定」という。)の申請をした一般社団法人又は一般財団法人が次に掲げる基準に適合すると認めるときは、当該法人について公益認定をするものとする。

  <中略>
 その事業を行うに当たり、社員、評議員、理事、監事、使用人その他の政令で定める当該法人の関係者*に対し特別の利益を与えないものであること。

 その事業を行うに当たり、株式会社その他の営利事業を営む者又は特定の個人若しくは団体の利益を図る活動を行うものとして政令で定める者**に対し、寄附その他の特別の利益を与える行為を行わないものであること。ただし、公益法人に対し、当該公益法人が行う公益目的事業のために寄附その他の特別の利益を与える行為を行う場合は、この限りでない。

    <以下略>

【註*】

上記3号の「政令で定める法人の関係者」については以下のとおり(公益認定法施行令第1条各号)。

 当該法人の理事、監事又は使用人

 当該法人が一般社団法人である場合にあっては、その社員又は基金の拠出者

 当該法人が一般財団法人である場合にあっては、その設立者又は評議員

 前3号に掲げる者の配偶者又は三親等内の親族

 前各号に掲げる者と婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者

⑥ 前2号に掲げる者のほか、第1号から第3号までに掲げる者から受ける金銭その他の財産によって生計を維持する者

 第2号又は第3号に掲げる者が法人である場合にあっては、その法人が事業活動を支配する法人又はその法人の事業活動を支配する者として内閣府令****で定めるもの

【註**】

上記4号の「特定の個人又は団体の利益を図る活動を行う者」については以下のとおり(公益認定法施行令第2条各号)。

① 株式会社その他の営利事業を営む者に対して寄附その他の特別の利益を与える活動(公益法人に対して当該公益法人が行う公益目的事業のために寄附その他の特別の利益を与えるものを除く。)を行う個人又は団体

② 社員その他の構成員又は会員若しくはこれに類するものとして内閣府令で定める者(以下この号において「社員等」という。)の相互の支援、交流、連絡その他の社員等に共通する利益を図る活動を行うことを主たる目的とする団体

【註***】

公益認定法第29条第2項で、「行政庁は、公益法人が次のいずれかに該当するときは、その公益認定を取り消すことができる。」とし、同項第1号で「第5条各号に掲げる基準のいずれかに適合しなくなったとき」として、上記「特別の利益」に関する定めは公益認定の取消原因となっている。

【註****】

「事業活動を支配する法人として内閣府令で定めるもの」(公益認定法施行令第1条第7号)とは、当該法人が他の法人の財務及び営業又は事業の方針の決定を支配している場合における当該他の法人(以下「子法人」という。)とされ(同法施行規則第1条第1項)、「法人の事業活動を支配する者として内閣府令で定めるもの」(同法施行令第1条第7号)とは、一の者が当該法人の財務及び営業又は事業の方針の決定を支配している場合における当該一の者とされる(同法施行規則第1条第2項)。

同法施行規則第1条第1項及び第2項の「財務及び営業又は事業の方針の決定を支配している場合」とは、次に掲げる場合をいう(同条第3項)。

 一の者又はその一若しくは二以上の子法人が社員総会その他の団体の財務及び営業又は事業の方針を決定する機関における議決権の過半数を有する場合

 第1項に規定する当該他の法人又は前項に規定する当該法人が一般財団法人である場合にあっては、評議員の総数に対する次に掲げる者の数の割合が百分の五十を超える場合

 一の法人又はその一若しくは二以上の子法人の役員(理事、監事、取締役、会計参与、監査役、執行役その他これらに準ずる者をいう。)又は評議員

 一の法人又はその一若しくは二以上の子法人の使用人

 当該評議員に就任した日前五年以内にイ又はロに掲げる者であった者

 一の者又はその一若しくは二以上の子法人によって選任された者

 当該評議員に就任した日前5年以内に一の者又はその一若しくは二以上の子法人によって当該法人の評議員に選任されたことがある者

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(1) 特別の利益供与の禁止の趣旨

特別の利益供与が禁止される趣旨は、公益法人の財産は公益目的事業に使用されるべきものであり、営利事業や特定の者のために使用されることは適当ではなく、特別の利益の供与を禁ずることで公益法人に対する信頼を確保することにあります。したがって、利益相反の規制とは似た概念であるとはいえ趣旨が若干異なるともいえます。

(2) 留意すべき3つの点

公益認定法の特別の利益供与の禁止に関して留意すべき点は3点あります。すなわち、禁止される「特別の利益」の供与の対象となる者の範囲は極めて広い点、「特別の利益」の解釈が曖昧である点、及び特別利益の供与は「禁止」であり一般法人法の利益相反取引のように承認される余地がない点です。

(a) 禁止される利益供与の対象

禁止される利益供与の対象は、「政令で定める当該法人の関係者」であり、公益認定法施行令によれば、①理事、②監事、③使用人、④社員(社団法人)、⑤基金の拠出者(社団法人)、⑥設立者(財団法人)、⑦評議員(財団法人)のほか、①~⑦の配偶者又は三親等内の親族、若しくは①~⑦の婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者、①~⑦から受ける金銭その他の財産によって生計を維持する者、③~⑥が法人である場合その法人が事業活動を支配する法人又はその法人の事業活動を支配する者として内閣府令(上記 註****参照)で定めるものとなり、極めて広範囲にわたります。

(b) 「特別の利益」の定義

内閣内閣府公益認定等委員会が作成した「公益認定等に関する運用について」において、「『特別の利益』とは、利益を与える個人又は団体の選定や利益の規模が、事業の内容や実施方法等具体的事情に即し、社会通念に照らして合理性を欠く不相当な利益の供与その他の優遇」としており、基準としてはかなり曖昧なものになっています。
具体的に、どのような利益供与が「特別の利益」に該当するのか、明らかではありませんが、他の法人に助成金や補助金を出すことについて、それをもって直ちに「特別の利益」に該当するものではなく、不相当な利益供与に当たるもののみ問題となるとされています(「公益法人制度等に関するよくある質問 問Ⅳ-1-①」)。

(c) 特別の利益供与は禁止

「特別の利益」の供与はあくまで禁止であり、一般法人法における利益相反取引のように承認機関が認めれば供与が可能になるというようなことはありません。この点は重要な相違だといえます。

 

3 おわりに

公益認定法を読み解くには、施行令や施行規則を参照しなければならず、なかなか煩雑であるといえます。また、これまで検討してきたように、公益法人法の特別の利益供与の禁止は、その趣旨からも一般法人法の利益相反取引の制限とは異なるところもあります。次回(最終回)では、これらの定めとGCとがどのように関わるのか検討したいと思います。

 

 

スポーツ団体の利益相反について①

1 はじめに

2019年に、スポーツにおける中央競技団体(NF)に向けてガバナンスコード(GC)がスポーツ庁により策定され、その中で原則8として以下のように定められています。

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原則8 利益相反を適切に管理すべきである。

(1) 役職員、選手、指導者等の関連当事者とNFとの間に生じ得る利益相反を適切に管理すること

(2) 利益相反ポリシーを作成すること

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そして、GCが作成を求める「利益相反の管理」がいかなる内容であるべきなのか、NF等のスポーツ団体が苦慮していると聞くことも少なからずあります。また、法人化したスポーツ団体において、利益相反等に関わる法令について、意外に知られていないと感じることも多々あります。

そこで、今回は、スポーツ団体の利益相反について考えたいと思います。先ずは、利益相反や利益相反取引の定義について述べた後、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(以下「一般法人法」)や公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(以下「公益認定法」)を整理した上で、GCについて検討したいと思います。

 

2 利益相反・利益相反取引

⑴ 利益相反・利益相反取引とは 

「利益相反」とは、一方の利益になると同時に他方の損失になるというような、相互の利益が衝突・相反(あいはん)する状態をいいます。

「利益相反取引」とは、「取引」が営利(経済的利益)のためになす経済行為という意味であるため、相互の利益が衝突・相反する経済行為ということになります。

したがって、「利益相反」に該当する「行為」は、「利益相反取引」を包括する広い概念といえます。

 

 研究機関における利益相反

大学などの研究機関において、「取引」とはいえない研究・教育について、「利益相反」という言葉が使われることがあります。

その場合の「利益相反」とは、企業等から研究費等の経済的利益を受けて研究をする場合に、そのような利益と大学や研究者として公に資する研究をしなければならないという責任とが衝突・相反することをいうようです。

 

 スポーツ団体における利益相反

スポーツ団体においては、当然ながら「取引」に関して利益相反が生じることもありますが、経済的行為でない業務等においても、利益が相反する状態があり得ます。

たとえば、スポーツ団体の重要な業務のひとつである代表選手選考をする場合に、選考する側(理事会や強化委員会など)に選考の対象となる選手自身やその親族がいれば、選考の公正性や中立性が損なわれますが、このことを利益相反と呼ぶことがあります。すなわち、選考する側の責任と選考される側の利益が衝突・相反するということになります。

なお、GC原則8において、「利益相反」という言葉と「利益相反取引」という言葉が明確な区別がなく使われているようにも思われ、これが混乱を招く原因のひとつとなっていると考えられます。

 

3 一般法人法による定め

スポーツ団体が法人化する場合には、一般社団法人や一般財団法人(以下まとめて「一般法人」)になることが多いと思われますが、利益相反に関し、一般法人法が下記のように定めています。

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第84条(競業及び利益相反取引の制限)

1 理事は、次に掲げる場合は、社員総会*において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。

① 理事が自己又は第三者のために一般社団法人の事業の部類に属する取引をしようとするとき。

② 理事が自己又は第三者のために一般社団法人と取引をしようとするとき。

③ 一般社団法人が理事の債務を保証することその他理事以外の者との間において一般社団法人と当該理事との利益が相反する取引をするとき。

 

第111条(役員等の一般社団法人に対する損害賠償責任)

1 理事、監事又は会計監査人は、その任務を怠ったときは、一般社団法人に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

2 理事が第84条第1項の規定に違反して同項第1号の取引をしたときは、当該取引によって理事又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する。

3 第84条第1項第2号又は第3号の取引によって一般社団法人に損害が生じたときは、次に掲げる理事は、その任務を怠ったものと推定する

① 第84条第1項の理事

② 一般社団法人が当該取引をすることを決定した理事

③ 当該取引に関する理事会の承認の決議に賛成した理事

 

*なお、競業及び利益相反取引に関する承認機関について、理事会設置一般社団法人の場合及び一般財団法人の場合には理事会の承認となる(第92条、第197条)

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⑴ 利益相反取引の制限の趣旨及び内容

利益相反取引が制限される(84条1項2号3号)の趣旨は、理事が自ら当事者として(=自己のため)又は他人の代理人・代表者として(=第三者のため)法人と取引をする場合(直接取引、同項2号)、あるいは法人が理事の債務を保証する場合のように理事以外の者との間において法人と当該理事との利益が相反する取引をする場合(間接取引、同項3号)においては、当該理事が自己又は第三者の利益を図り、法人の利益を害する(経済的損失を生じる)おそれがあるため、これを防ぐことにあります。

当該取締役は、重要な事実を開示しなければならず(同項柱書)、これらの事実を基に様々な観点から総合勘案されて、理事会ないし社員総会により当該取引が承認されれば、当該取引をしてよいことになります。

ただし、結果的に一般法人に損失が生じた場合には、当該理事、当該取引を決定した理事、当該取引の承認に賛成した理事は、任務懈怠が推定され(111条3項)、もって損害賠償責任が生じる可能性があります(同条1項)。すなわち、承認を経たか否かにかかわらず、損失が生じた場合には、当該利益相反取引に関与した理事に賠償責任を負わせることで法人の損失の回復を図る手段があるということになります。

なお、競業取引(84条1項1号)についても、法人の利益を害するおそれがあることは、利益相反取引と変わりがないため、同様の制限を受けています。

 

⑵ 制限の対象は「理事」が関わる「取引」に限られる

一般法人法84条は、利益相反に関して、「理事」が関わる「取引」という経済行為を制限しています。

したがって、監事、職員及びその他法人の関係者は同条の制限の対象とされていません。その理由として、監事や職員その他法人の関係者は当該取引に関して承認や議決の権限がないことが挙げられます。

また、前述したような、スポーツ団体における代表選手選考に関する利益相反は「取引」には該当しないため、同条の制限の対象外となります。

 

⑶ 利益相反取引の「制限」であって「禁止」ではない

一般法人法84条は、利益相反取引を制限しているに過ぎず、適式な手続を経れば、利益相反取引も許されるのであって、絶対的な禁止ではないことに注意する必要があります。

この点、平たく言えば、利益相反取引の制限はあくまで損得の問題であり、理事会でその損得について判断させ、仮に事後、損失が生じていることが判明すれば、関係した理事に損失を補わせるということになります。

したがって、次回に検討する公益認定法における特別の利益の供与はあくまで禁止であり、この供与が認められることがないことと対照的です。

 

~次回は、公益認定法及びGC原則8について検討します。~

 

フリークライミングにおけるリボルトの法的問題について

1  はじめに

フリークライミングの歴史は登山の歴史よりも相当新しいのですが、それでも約50年が経過しています。そして、フリークライミングのスタイルは様々ありますが、大きく分けて、ロープを使ったクライミングとロープを使わないボルダリングとがあり、ロープを使ったクライミングのルートには、落ちた場合に支点となるボルトが設置されているものが多数を占めるといえます。

ところが、従前に設置されたボルトの老朽化が進んだり、あるいはボルト位置が適切でなく危険性を有するなどの理由で、それらのボルトを打ち替える(リボルト)作業が必要とされる岩場も少なくありません。ボルトは、落下の際の支点になるため、破損等したり、位置が適切でなかったりすると、落下による傷害等を防止できず、最悪の場合は死亡に至るような危険性があるため、そのような危険を有するボルトが存在する岩場では早急にリボルトを行わなければなりません。

このように、リボルトに関して、その必要性は高いにもかかわらず、看過できない法的問題があります。本稿ではこの点について考えてみたいと思います。

 

2 所有権絶対の原則というハードル

⑴ 所有権絶対の原則と岩場利用との関係

リボルトの問題を考える前に、そもそも、岩場に立ち入ったり、岩を登ったり、岩にボルトを打ったりするといった岩場を利用する行為が法に反しないのか、という問題があります。

所有権は、文字どおり、「物」(不動産を含みます)を所有する権利であり、所有者は、所有する「物」を自由に使用、収益、処分でき、仮に所有権を侵害されればこれを排除することができます。このような所有権に関する原則を「所有権絶対の原則」といい、所有者は所有する「物」に関して、いわば絶対的な支配権があるといえます。

そうすると、岩場の所有者は、所有権絶対の原則から、クライマーの岩場への立入りを禁ずることや岩場の利用を認める代わりに利用料をとることもできます。したがって、クライマーは、他者が所有する岩場においては、立ち入ること、岩を登ること、岩にボルトを打つことなど、いずれの行為についても所有者の同意が必要となります。しかしながら、これまでは一部の所有者の同意を得ている岩場を除いて、ほとんどの岩場では黙認によって、クライミングなどの岩場の利用がなされてきたといえます。

 

⑵ 自然公園内での岩場利用

このように岩場を利用するには所有者の承認を得る必要がありますが、国立公園、国定公園及び都道府県立自然公園(以下、まとめて「自然公園」(自然公園法2条1号)。定義については後述)内においては、岩場の立入りやクライミングといった利用は原則として禁じられていないと考えられます。というのも、自然公園について定めた自然公園法において、利用者の責務が3条1項に定められていることなどから同法も利用が許されることを前提と考えているといえますし、環境省が設置した「自然公園制度の在り方検討会」も自然公園の利用に関わる提言し(2020年5月)、利用が許されることを当然の前提としているからです。

よって、自然公園内の岩場の方が自然公園外の岩場よりも、いわば公のお墨付きで利用が許されているともいえ、この反射的効果として、所有権が制限され、所有権者の裁量で立入りを拒絶することは難しいと考えられます。

今回は、自然公園に指定されていない地域の岩場と比べて、利用のハードルが低いといえる自然公園内の岩場のリボルトの問題に焦点を当てたいと思います。

 

3 「工作物」というハードル

上述したように、リボルトとは、ボルトの老朽化等を理由として、ボルトを打ち替えることですが、このボルトやリボルトが自然公園法にどのように関わってくるのか考えます。

⑴ 国立公園及び国定公園における特別地域、海域公園地区、普通地域とは

自然公園法によれば、自然公園には、国立公園、国定公園、都道府県立自然公園があります。そして、国立公園と国定公園は、特別地域、海域公園地区と普通地域に区別されます。

「特別地域」とは、国立公園においては環境大臣、国定公園においては都道府県知事が、当該公園の風致を維持するために公園計画に基づいて指定した地域(20条1項)、「海域公園地区」とは、国立公園においては環境大臣、国定公園においては都道府県知事が、当該公園の海域の景観を維持するために公園計画に基づいてその海域内に指定した地区(22条1項)、「普通地域」とは、特別地域及び海域公園地区以外の区域(33条1項)をいいます。

現状において、海域公園地区にはクライミングのための岩場は極めて少ないので、国立公園と国定公園における特別地域と普通地域について考えます。

 

⑵ 工作物に関する規制

特別地域内において「工作物を新築し、改築し、又は増築する」場合には、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事の許可を受けなければならないとされ(20条3項1号、特別保護地区については21条3項1号)、普通地域では、「その規模が環境省令で定める基準を超える工作物を新築し、改築し、又は増築する」場合には、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事に届け出なければならない(33条1項1号)とされています。

すなわち、ボルトが「工作物」に該当するのか、リボルトが「工作物を新築し、改築し、又は増築すること」に該当するのかによって規制のあり方が異なることになります。なお、ボルトが「工作物」に該当すれば、リボルトは「工作物を新築し、改築し、又は増築する」に該当する可能性が高いため、以下ではボルトが「工作物」に該当するか否かによって場合を分けて考えます。

 

⑶ 普通地域でのリボルト

普通地域において、ボルトが、「工作物」に該当しなければリボルトについて届出は不要となり、「工作物」に該当するとしても「その規模が環境省令で定める基準を超え」(33条1項1号)なければ届出は不要といえます。

仮に、ボルトが「その規模が環境省令で定める基準を超える工作物」に該当しても、届出をすればリボルトは認められるということになるでしょう。なお、「許可」は禁止されている行為を解除することで審査にパスする必要がありますが、「届出」はその要件に従い届出をすれば足り審査はされません。

したがって、普通地域におけるリボルトは下記の特別地域と比べて法的問題が少ないといえます。

 

⑷ 特別地域でのリボルト

特別地域において、ボルトが、「工作物」に該当しなければリボルトについての許可は不要となりますが、「工作物」に該当するのであれば、リボルトについて、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事の許可を得なければならないことになります。

そして、許可のための基準については、「環境省令で定める基準」(20条4項)として自然公園法施行規則(昭和32年厚生省令第41号)11条「特別地域、特別保護地区及び海域公園地区内の行為の許可基準」があります。

なお、自然公園法及び同施行規則によれば、特別地域は、特別保護地区(法21条)、第1種特別地域、第2種特別地域、第3種特別地域(規則9条の2)に区分され、その許可基準も異なります。

 

⑸ ボルトが「工作物」に該当しない場合

上述のように、ボルトが、「工作物」に該当しない場合は、リボルトを行う地域が特別地域でも普通地域でも、自然公園法が求める許可や届出は不要になると考えられます。

とはいえ、クライマーが岩場に立ち入ること、クライミングをすること、リボルトをすることが、明文の法令により認められているわけではないため、大手を振ってリボルトができるわけではないことに留意する必要があります。

 

⑹ 都道府県立自然公園でのリボルト

都道府県立自然公園については、条例により指定された特別地域(特別地域内に利用調整地区あり)とそれ以外の地域があり、自然公園法の規制(第2章第4節)の範囲において、条例で必要な規制をすることができます(73条1項)。

したがって、都道府県立自然公園に関しては条例を確認する必要がありますが、国立公園・国定公園と同様の規制がある可能性が高いといえるでしょう。

 

4 おわりに

スポーツクライミングが東京2020五輪から追加競技として採用され、多くの方がスポーツクライミングの選手の活躍をご覧になったものと思います。また、2028年のロサンゼルス五輪からは正式競技として採用が決まっております。

このようなクライミングに対する認知度・関心度の高まりを契機に、これまで岩場の地権者(所有者のみならず管理者をも含めた土地に関わる権利や権限を有する者)の黙認のもと行われてきたクライミングやクライミングに関わる行為(新らたにボルトを打つ行為、リボルト等)が法的に承認されるような土壌を整え、上述したようなハードルを正面から越えていく必要があるのではないでしょうか。

先ずは、その岩場が自然公園内にあるのか、自然公園内にあるとしてどの地域や区分にあるのかを確認しなければなりません。そして、岩場に関し、自然公園の内外を問わず、行政(国や地方公共団体)、地権者及びその関係者と対話することから始める必要があるでしょう。

 

 

コロナ禍とスポーツの価値

1 はじめに

世界的なコロナ禍により、2020年に予定されていた東京五輪が延期となり、その後の緊急事態宣言の発出期間中は、予定されていた殆ど全てのスポーツイベントが中止・延期となり、学校での部活動やクラブチームでのスポーツも休止となりました。

この様な中で、「スポーツがなくても、生活に殆ど影響がない」とか、「スポーツこそが不要不急だ」という方もいれば、「あるスポーツに打ち込んでいたけど、そのスポーツができなくて心身共に不調になった」とか、「プロ野球もJリーグも中止となり、生き甲斐がなくなった」という方もおられることと思います。このように、ステイホーム期間中に、スポーツについて考えたり感じたりしたことは人それぞれでしょう。

そこで本稿では、コロナ禍を契機としてスポーツの価値に変化があるのかないのか、あるとしてどのような変化なのかを考えてみたいと思います。

 

2 そもそもスポーツとは?(スポーツの定義)

コロナ禍とスポーツの価値との関わりを考える前に、そもそも「スポーツ」とは、どのような活動を指すのか考えてみたいと思います。

古くは、スポーツは、本質的な3要素として「プレイ(遊戯)」「闘争」「激しい肉体的活動」を挙げ(ベルナール・ジレ)、その3要素が複合したものとされるなど、スポーツの定義は比較的狭く解されていました。このような3要素を併せ持つスポーツとして、プロスポーツや五輪や世界選手権等でのトップアスリートのパフォーマンスが想起されます。

 

3 スポーツの現代的定義 

スポーツが一部のトップアスリートだけのものではなく、一般市民にとってのものとなるにつれ、一般市民にスポーツ権が認められるようになり、スポーツの定義も広く解されるようになりました。

たとえば、スポーツ基本法前文においては、「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養(かんよう)等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」とされています。

スポーツ基本法は法律であるため、少し分かりにくい表現となっていますが、スポーツ庁のウェブサイトでは、このことを噛み砕いて、次のように説明されています。

スポーツは、「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」(「第二期スポーツ基本計画」)として、「たとえば、朝の体操から何気ない散歩やランニング、気分転換のサイクリングから、家族や気の合う仲間と行くハイキングに海水浴など、その範疇はさまざま。つまり、スポーツとは一部の競技選手や運動に自信がある人だけのものではなく、それぞれの適性や志向に応じて、自由に楽しむことができる『みんなのもの』なのです」とあります。

 

4 現代的定義におけるスポーツの特徴

ここで注目すべきは、「スポーツとは一部の競技選手や運動に自信がある人だけのものではなく、それぞれの適性や志向に応じて、自由に楽しむことができる『みんなのもの』」だとして、朝の体操から何気ない散歩やランニング、気分転換のサイクリングから、家族や気の合う仲間と行くハイキングに海水浴もスポーツだとされている点です。

以上からすると、スポーツの現代的定義は、プロを含めたトップアスリートが世界一を競うものから、子どもや高齢者の散歩やジョギングまでの活動を大きく包括した概念だといえます。

 

5 コロナ禍とスポーツ

コロナ禍の前には、スポーツとしてスポットライトが当たっていたのは、子どもや高齢者の軽い運動というよりは、トップアスリートのパフォーマンスのような狭い解釈におけるスポーツだったように思われます。

その後、コロナ禍が拡大し、緊急事態宣言が発出され、国民の様々な行動の自粛が要請され、トップアスリートにとってのスポーツは自粛を余儀なくされました。

ところが、緊急事態宣言による自粛の対象から、屋外での軽いジョギングや散歩は外され、認められていました。これは、軽いジョギングや散歩といった運動が老若男女を問わず、身体や精神の健康維持・増進のために、人々の生活の中で必要不可欠な行動であると認められた証といえるでしょう。

そして、スポーツの現代的定義によれば、軽いジョギングや散歩もスポーツなのですから、様々な行動の自粛が求められる中で、食べたり、寝たりすることと同様に、人間が生きていく上で不可欠なものとして、スポーツが認められたということになると考えられます。すなわち、コロナ禍によって、スポーツの重要性に焦点が当たったともいえるでしょう。

 

6 おわりに(コロナ禍とスポーツの価値)

スポーツ基本法に規定されたスポーツ権には、スポーツを「する」権利、「みる」権利、「支える」権利が包含されています。

これまで述べてきたように、今回のコロナ禍で、身体や精神の健康維持・増進のために、全国民の「する」スポーツに焦点が当たりました。

そして、歴史上の多くの感染症が収束したように、ある程度の時間を経て、コロナ禍も収束するでしょう。そのときには、トップアスリートのパフォーマンスを満喫することができるようになるはずです。それは、トップアスリートにとっての「する」スポーツ、その他の人々にとっての「みる」「支える」スポーツの復活ともいえます。

そうだとすれば、コロナ禍が収束したときには、一般的な国民にとっての「する」スポーツに、トップアスリートにとっての「する」スポーツやその他の人々にとっての「みる」「支える」スポーツが加わり、このことでスポーツの価値を人々が再認識し、全体としてスポーツの価値は高まっていくと考えられるのではないでしょうか。

 

 

 

証拠集めのススメ ~暴言・パワハラ事案において~

1  はじめに

不幸にも、スポーツの指導者の暴言やパワハラによって、精神的苦痛を被り、病院に通わざるをえなかったり、そのスポーツをやめざるを得なかったりすることがあります。

被害に遭われた方には、先ずは心身の回復を目指していただきたいと思います。そして、被害に遭われた方の多くは、指導者に対し然るべき処分をして欲しいと考えることと思われます。

本稿では、適正な処分を実現するために注意すべきことについて、証拠を中心に述べていきたいと思います。

 

2  事実認定と証拠

ある人を処分する場合に、処分の対象となる事実の認定は、原則として証拠に基づかなければなりません。というのも、その人に不利益な処分を科すためには、間違いがあってはならず、そのため確たる証拠に基づかなければならないからです。

ただし、処分の対象となる行為者が自由な意思に基づいて事実を認めている場合は、そのような間違いが生じないことから、例外的に証拠に基づくことなく、事実を認定することができます。

したがって、どのような事案でも、行為者が事実を認めない限りは、証拠が必要となります。

 

3 証拠の多寡

事案によって、証拠が豊富にあったり、反対に証拠が少なかったりすることがあります。

たとえば指導者の暴力により怪我を負ったという事案では、暴力を振るった上に怪我までさせているため、事実の痕跡である証拠が比較的残り易いといえます。

ところが、暴言やパワーハラスメント(パワハラ)がなされた場合では、事実の痕跡が残りにくく、実際に目ぼしい証拠がないことが多いといえます。

このように事案の性質によって証拠の多寡の傾向はありますが、結局は事案ごとに証拠の多寡は異なることになります。

そして、証拠は多いに越したことはありませんが、より重要なのは個々の証拠の価値です。証拠の価値は、一般的にその証拠がどの程度信用できるか(信用性)やその証拠と立証すべき事実とどの程度関連するか(関連性)等によって決まるとされています。以下では、証拠の信用性を中心に具体的に検討します。

 

4 目撃証言

たとえば、ある人が、当該行為をたまたま目撃していたとします。

被害者としては、目撃者がいるなら、事実はその人が明らかにしてくれると考えるのが通常と思われます。このように目撃者が当該行為について証言してくれれば、これが証拠となります(目撃証言)。

しかし、実際には、目撃者が行為者の行為について進んで証言をしてくれることは多いとはいえず、目撃者の協力を得るのは簡単ではありません。トラブルに巻き込まれたくない、行為者の逆恨みが心配される、目撃はしたものの証言できるほど明確に記憶していない等の事情があり得るからです。

 

5 目撃証言の信用性

仮に目撃証言が得られたとしても、残念ながら目撃証言は信用性が高いとはいえず、証拠として万全とはいえません。

その理由は、①人の証言には誤りが入り易いこと、②目撃者と行為者又は被害者との人的関係によって証言の内容が変わり得ることにあります。

①については、目撃証言は知覚、記憶、叙述という過程をたどりますが、事実を知覚・認識する際に誤りが入る可能性があり(見間違い、聞き間違い)、その認識を記憶する際に誤りが入る可能性があり(覚え間違い)、その記憶を叙述・表現する際に誤りが入る可能性がある(言い間違い、書き間違い)からだとされています。

②については、目撃者が、行為者あるいは被害者に人的関係が近い場合には、目撃証言がその者に有利な証言内容となり易く、反対に行為者や被害者と敵対関係にある場合には、目撃証言がその者に不利な証言内容となり易いためです。

 

6  録音・録画記録

処分の対象となる事実に関する証拠として目撃証言しかなく、なおかつ行為者が否認しているような場合には、目撃証言の信用性を中心とした証拠価値を精査しなければなりませんが、事実の認定は難航せざるを得ません。

それでは、どのような証拠があればより事実の認定に役立つのでしょうか。

これは皆さん方も納得いただけるところかと思いますが、処分の対象となる行為者の言動を録音又は録画した記録(録音・録画記録)があればよいといえます。録音・録画記録は、目撃証言のように誤りが入る可能性が類型的に少ないといえますし、人的関係に原則として左右されないといえるからです。もちろん、録音・録画記録も改ざんしようと思えばできますが、信用性という点では目撃証言よりも格段に高いといえます。

 

7  秘密録音・録画の適法性

当該行為を録音したり、録画したりしたものの、行為者に知らせずに録音や録画したため、その違法性について心配される方も多いと思います。いわゆる秘密録音・録画といわれるもので、たとえば、行為者の承諾なしに、ポケットの中のスマホで録音するとか、友人に頼んで撮影してもらうなどのケースがあります。

秘密録音・録画は、原則として違法性があるとはされておりませんので、秘密録音・録画のデータを証拠とすることに問題はありません。

したがって、当該行為の録音・録画データがあるのであれば、迷わず提出して、事実認定に役立ててもらえばよいと思います。

 

8 証拠に乏しいとき

そうは言っても、録音・録画データなどの決め手となる証拠がないということも多いと思います。

パワハラや暴言に苦しんでおられる方には言いづらいのですが、そのようなときの対処法として、もう少し我慢をしていただいて、行為を録音や録画していただきたいのです。その場合、上に述べたように、行為者の承諾を得る必要はありません。

重要なのは、その行為自体を録音・録画することです。なぜなら、行為自体ではなく、その前後の行為が録音・録画されていたとしても、その証拠の価値はかなり下がってしまうからです(関連性の問題)。

 

9 おわりに

私は、スポーツ団体において、指導者等の処分をする委員会の委員を務めておりますが、被害者が勇気を出して暴言やパワハラの告発をしたとしても、証拠の乏しさゆえに事実認定が困難であることも多々あります。

このようなことを避けるためにも、もし本稿を読まれた方が、指導者の言動に関して、「これってもしかしてパワハラ?」「今の発言は暴言?」と感じられ、少しでもその指導者への信頼が揺らぎ始めたら、その行為を録音・録画することをお勧めします。指導者との信頼関係があるので、なかなか秘密録音・録画に踏み切れないかも知れませんが、取り返しのつかない事態に陥ることを避けるためにも一考していただけるとよいと思います。

 

 

 

スポーツ団体の決定に対する不服申立について

1 はじめに

よく受ける相談として、「スポーツ団体の決定に不服があるのですが、どのようにすればよいですか」というものがあります。ここでの「決定」には様々なものがあり、たとえば、不利益処分、代表選考基準、同基準に基づく選考結果、役員人事、規則や規程の制定・改定などです。

このような相談をされる方は、スポーツ団体の外部から、その決定に不服があるため、決定を取り消させたり、変更させたりしたいと思っておられる方が殆どでしょう。

したがって今回は、スポーツ団体の決定に対する不服申立の方法と申立によって決定を変えられるかという観点から検討したいと思います。

 

2 スポーツ団体に認められる裁量

不服申立について述べる前に、スポーツ団体の決定とその裁量について説明しておきます。

スポーツ団体は、その団体に関わる事項について、「一定の範囲内での判断や行為の選択ができること」、すなわち「裁量」を有しています。裁量の範囲について、スポーツ団体によって異なるものの、一般的には、スポーツ団体の自立性や専門性から、ある程度広範に認められています。

このようにスポーツ団体が決定をする際にもある程度広い裁量が認められるため、決定に対し不服を申し立てても、余程の根拠がない限り取り消されたり、変更されたりしないといえます。

 

3 誰でもできる意見を述べる方法

スポーツ団体の決定について外部から意見を述べる方法として、スポーツ団体に対して意見を記した書面を送付したり、SNSやブログ等で自らの意見を発信したりすることが考えられます。これらの方法は原則として誰でもできます。

このような意見の内容が合理的であり、スポーツ団体の納得を得られる限りで、その決定が変更される可能性があります。

もっとも、スポーツ団体には、表明された意見に対し何らかの対応や応答をしなければならないという法的根拠もありません。とはいえ、SNS等で意見を表明し賛同者を多数得られれば、スポーツ団体としても何らかの対応をせざるを得なくなることもあり得ますし、書面をスポーツ団体に送付する場合に、弁護士名義であれば、スポーツ団体が対応や応答をすることが多いといえます。

仮にスポーツ団体が対応を迫られたとしても、前述したように、スポーツ団体はその決定に関し裁量を有していることから、その意見を受けて決定を変更することはごく稀だといえるでしょう。

 

4 スポーツ団体の不服申立制度を利用する方法

スポーツ団体に決定に対する不服申立の制度があれば、そこに申し立てることもできます。

このような制度は大抵その利用者は限定されており、誰でも不服申立ができるわけではないので、スポーツ団体の当該制度の規定等を確認する必要があります。

そして、利用できる立場にあったとしても、その他のスポーツ団体が決めた申立の要件を満たさなければなりませんが、これらがクリアされて有効に申し立てられれば、スポーツ団体は必ず何らかの対応をしなければなりません。

ただし、これまでも述べてきたように、スポーツ団体には裁量が認められますから、必ずしも決定が取り消されたり、変更されたりするわけではないことに注意が必要です。

 

5 スポーツ仲裁を利用する方法

不服申立の手段として、スポーツ団体の外部組織を利用することも考えられます。

利用しやすいのがスポーツ仲裁であり、国内の仲裁機関として(公財)日本スポーツ仲裁機構(JSAA)があります。

ただし、JSAAへの申立ては、誰でも、どのような不服でも、申し立てられるわけではありません。

すなわち「競技者等」が「競技団体」に対し、その「決定」に不服があるときで、「仲裁合意」がある場合に限り、申立ができるのです(スポーツ仲裁規則第2条参照)。

先ず「競技者等」とは、スポーツ競技における選手、 監督、コーチ、チームドクター、トレーナー、その他の競技支援要員及びそれらの者により構成されるチームをいい、競技団体の評議員、理事、職員その他のスポーツ競技の運営に携わる者を除く(同規則第3条第2項)とされています。

また、「競技団体」とは、日本オリンピック委員会(JOC)、 日本スポーツ協会(JSPO)、日本障がい者スポーツ協会、各都道府県体育・スポーツ協会、及びこれらの加盟団体等(同規則第3条第1項)とされています。

加えて、スポーツ仲裁は、あくまで仲裁手続ですから当事者双方の仲裁パネルへの付託に関する合意である「仲裁合意」を要します。なお、競技団体によっては自動応諾条項(競技団体が申立てに応じて自動的に応諾するとの条項)を規定している場合もあるので確認してみて下さい。

少し専門的になりますが、争う対象の「決定」について、スポーツ団体が幾つかの決定をしていた場合に、どの決定を争うのかということも戦略的には重要となります。

実際のJSAAの仲裁判断をみてみると、代表選考を選手が争うケースや不利益処分を受けた選手やコーチ等がその処分を争うケースが多いといえます。もっとも、先に述べたようにスポーツ団体に裁量が認められるため、必ずしも決定が取り消されるわけではないことはこれまでの不服申立の方法と同様です。

 

6 裁判所に訴える方法

裁判所に訴えられないかと考える方も多いと思います。

提訴は、原則として誰でもできますが、コストと時間がかかることと、裁判所に門前払いされる可能性があること、これまで述べた方法と同様にスポーツ団体には裁量があることから、方法として採りづらいといえます。

ここで、門前払いについて説明を加えると、スポーツ団体には一定の自立性が認められ、内部のことは内部で解決することが妥当であると考えられるため、裁判所は決定の内容まで踏み込んで判断せずに門残払いしてしまうことが少なくありません(部分社会の法理、法律上の争訟性の欠如)。

それでも、裁判が有効であるケースもありますので、個別に検討していただければよいでしょう。

 

7 団体内部から変えていく方法

これまでは外部からスポーツ団体の決定を変える方法について検討してきましたが、自ら又は考えを同じくする人をスポーツ団体の役員として送り込み、その意見を反映させ、スポーツ団体の内部から変えていくということもあり得ます。この方法は迂遠なようにみえますが、スポーツ団体のあり方から根本的に変えていくことができます。

しかしながら、役員選考方法について明らかにしていないスポーツ団体が大多数であり、仮に役員選考方法のルールが明らかとなっていたとしても、役員人事についてもスポーツ団体に広範な裁量が認められることからすると、役員を送り込んで内部から変えていくことも決して簡単なことではないといえるでしょう。

 

8 おわりに

繰り返し述べてきたように、スポーツ団体の決定に対して不服申立をしたとしても、スポーツ団体にはその決定をするに際しても裁量が認められるため、決定を取り消したり、変更したりすることは困難であるといわざるを得ません。

とはいえ、下記のような場合には決定を覆すことができる可能性があります(スポーツ仲裁の判断基準)。

①スポーツ団体の決定がその制定した規則に違反している場合

②規則には違反していないがその決定が著しく合理性を欠く場合

③決定に至る手続に瑕疵(「かし」、不備と同義)がある場合

④スポーツ団体の規則自体が法秩序に違反し若しくは著しく合理性を欠く場合

以上のように、スポーツ団体の決定を争うことは簡単なことではありませんが、是非とも諦めずにトライして下さい。

 

 

 

 

 

スポーツ中のプレイヤー同士の事故に関する注目すべき判例について

1 はじめに

スポーツ中のプレイヤー同士の事故についての注目すべき判例として、バドミントン事故判決( https://gohda-law.com/blog/?p=632 参照)を紹介させていただきましたが、これとは別の事件に関する、注目すべき判例を紹介します。なお、本件は、2審から私が控訴人(原審原告)代理人を担当させていただき、2審で確定しています。

 

2 事案の概要

自治会の運動会で自転車リングリレー競技(自転車のリングホイールを金属製のスティックを使って転がし早さを競い合う競技、以下「本件競技」)の最中、女性が、男性に衝突されて転倒し、頭部を地面に打ち付け、救急車で搬送され、その後、脊椎捻挫、全身打撲、末梢神経障害との診断を受けました(後遺障害はありませんでした)。そこで、女性は男性に対し、209万円余の損害賠償を求めて提訴しました。

 

3 リングリレー1審判決(さいたま地方裁判所判決平成30年1月26日(平成28年(ワ)第909号)LLI/DB等)

1審判決は、原告の請求を棄却しました。その理由において、「本件競技はスポーツの一類型というべきであり、本件事故は、その過程で生じたものであるところ、スポーツの参加者は、一般に、そのスポーツに伴う危険について承知しており、その危険の引受けをしていると解されるから、当該スポーツ中の加害行為については、加害者の故意・重過失によって行われたり、危険防止のためのルールに重大な違反をして行われたりしたような特段の事情のある場合を除いて、違法性が阻却される」との規範を定立し、原告が「本件競技の性質やルールを熟知していた」ことをもって「本件競技に伴う危険について承知しており、その危険を引き受けしていたというべきである」とし、特段の事情を認めることもできないとして、被告に法的責任があるとはいえないとしました。

さらに、判決は「結局、本件競技は、競技者がスティックからリングが離れないように注意しながらできるだけまっすぐ進もうとするが、なかなかうまくいかないという点に醍醐味のあるものであるところ、本件事故は、原告と被告の双方とも、衝突するまで相手に気づかず、互いに前方不注視だったために発生した不幸な事故であり、本件競技に内在する危険が発現したもの」としています。

 

4 1審判決の評価

(1) 1審判決の規範について

1審判決は、スポーツ中のプレイヤー同士の事故について、危険の引受けを理由に原則として違法性を阻却するとしつつ、例外的に、①加害者に故意・重過失あった場合、②危険防止のためのルールに重大な違反をして行われたなどの特段の事情がある場合には、違法性を阻却しないという規範を定立しています。

しかし、このような規範を定立した根拠が明らかではありません。たとえば、特段の事情において、①に過失を含めなかった根拠や②で危険防止のためのルールに反していた場合について「重大な」ものに限定する根拠が不明です。

また、スポーツの各競技の個別具体的な特性や状況を比較検討することなく、一律に、スポーツのあらゆる危険を引き受けているとするのは無理があると思います。

さらに、この規範によれは、危険防止のためのルールの軽微な違反が認められ、なおかつ過失によって、相手方を死亡させたとしても、違法性を阻却することになり、これは結果の妥当性を著しく欠くことになるのではないでしょうか。

(2) 危険の引受の根拠について

1審判決が、原告において「本件競技の性質やルールを熟知していた」ことをもって、「本件競技に伴う危険について承知しており、その危険を引き受けしていたというべきである」とするのにも、論理の飛躍があると思われます。判決では、これまで本件競技において傷害を負う事故が多発していたといった事情が認定されていない以上、「本件競技の性質やルールを熟知していた」ことはむしろ本件競技が安全であるとの認識があったとして、危険を引き受けていなかったとするのが自然なのではないでしょうか。

(3) 「競技の醍醐味」「不幸な事故」について

さらには1審判決が「結局、本件競技は、競技者がスティックからリングが離れないように注意しながらできるだけまっすぐ進もうとするが、なかなかうまくいかないという点に醍醐味のある」とした点、「本件事故は、原告と被告の双方とも、衝突するまで相手に気づかず、互いに前方不注視だったために発生した不幸な事故」とした点について、論理的な判断内容とは到底いえないと思われます。なお、控訴人(原審原告)はこの部分をもって控訴を決断したといっても過言ではありません。

 

 

5 リングリレー 2審判決(東京高等裁判所判決平成30年7月19日(平成30年(ネ)第1024号))

2審判決では、控訴人(原審原告)の請求の一部(10万円)を認容しました。

「スポーツ競技中であるからといって、自らの位置方向と付近の状況を可能な限り随時確認して、他の競技者との衝突を回避するように注意すべき一般的な注意義務が存在することを否定することはできない。」「本件競技がスポーツの一類型であることからすると、そのルールないしマナーに照らし社会的に許容される一定範囲内の行動は違法性が阻却されると解し得るものの、親睦目的で行われた本件競技の前記の性質に照らすと、その範囲となるのは、ごく軽度の危険や衝突にとどまるといわざるを得ない。」そして、衝突回避が可能であったと認め、衝突を回避すべき注意義務違反があったとし、また、社会的に許容される範囲内とはいえないとして、違法性が阻却されないとしました。

さらに、「他者との衝突を回避するというのは、道路で歩行する場合等も含め、日常的に広く認められる基本的注意義務というべきであって、チームごとの順位をつける競技であるとはいえ、本件競技が競技者同士のボディコンタクトを予定したものではないことからすると、一般的な衝突回避義務がおよそ免除されていたと解することはできない。」

違法性阻却について、「スポーツ競技中、ルール違反さえなければ常に違法性が阻却されるとは解することはできず、当該スポーツの性格や事故の生じた具体的状況に即して検討すべきところ、幅広い参加者が親睦目的で参加するといった本件競技の性格に鑑みれば、本件競技に内在している危険として違法性が阻却されるのは、ごく軽度の危険や衝突に限られると解するのが相当である。」

「被控訴人は、競技者同士が対向して走行するといった形式で本件競技が行われたことにより危険が高まったと指摘して、主催者の側で、これを前提とした安全対策を講じるべきであって、競技参加者に損害分担の責任を負わせるべきではない旨主張する」が、被控訴人が回避可能であったといえる上、主催者の責任と競技者の責任とは択一的な関係にはないから、主催者の損害賠償責任の有無にかかわらず、その責任を免れない。

 

6 2審判決の評価と若干の私見

(1) スポーツ中の衝突回避義務について

2審判決が、「スポーツ競技中であるからといって、自らの位置方向と付近の状況を可能な限り随時確認して、他の競技者との衝突を回避するように注意すべき一般的な注意義務が存在することを否定することはできない」として、「他者との衝突を回避するというのは、道路で歩行する場合等も含め、日常的に広く認められる基本的注意義務というべき」としている点に大きな意義があると考えます。

判決では、スポーツ中といっても、他者に傷害を負わせるような衝突を避けるべき基本的注意義務があるとしているのです。スポーツ中の注意義務を考える場合、スポーツ中のプレーの萎縮(加害者のスポーツ権)とスポーツ中の安全性(被害者のスポーツ権)との比較衡量になりますが、生命身体の重要性からして、後者を優先させるべきことは明らかだといえるのではないでしょうか( https://gohda-law.com/blog/?p=632 参照)。もっとも、私は、スポーツ中の全ての傷害について、責任が生じると主張しているのではありません。あくまで、注意義務違反があった場合に限られるのであって、だからこそ、注意義務違反の有無の判断が重要となるのです。

 

(2) 社会的に許容される範囲の認定について

2審判決は、「本件競技がスポーツの一類型であることからすると、そのルールないしマナーに照らし社会的に許容される一定範囲内の行動は違法性が阻却されると解し得る」としつつも、「スポーツ競技中、ルール違反さえなければ常に違法性が阻却されるとは解することはできず、当該スポーツの性格や事故の生じた具体的状況に即して検討すべき」としています。これは、通常想定できる危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しないとする通常想定内免責説(  https://gohda-law.com/blog/?p=593 参照)と同様に、一定範囲内であれば違法性を阻却するという見解(「限定免責説」といいます)を採用しています。

そして、これまで限定免責説を採用する判例では、後遺障害が残るような重度の傷害については、社会的に許容される範囲あるいは危険を引き受けている範囲を超えているとして、違法性を阻却しないとすることが多かったといえますが、本件2審判決では、限定免責説を採用しつつも、被害者に後遺障害が残らなかった本件においても一定範囲を超えているとして、違法性阻却を認めず、損害賠償責任を認めた点に大きな意義があるといえます。2審判決の認容額は10万円ですが、1審判決のように違法性が阻却され0円となるのと、違法性を阻却せず過失を認めて10万円の支払を認容するのとでは、その法的意義において雲泥の差があることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

なお、私は、スポーツ中のプレイヤー同士の事故について、スポーツをする人は一定程度危険を引受けているとしても、違法性阻却を検討するのではなく、過失の判断の中で検討すべきであり、ルール内免責説も通常想定内免責説も採用すべきではないと考えます。というのも、通常危険を引き受けているとする範囲の判断が困難なこと、きめ細やかな判断ができる過失の要素として検討すれば足りること、生じた結果から遡ってその違法性阻却の有無を判断することは結果責任に類する考え方であることから妥当でないと考えられるからです( https://gohda-law.com/blog/?p=632 参照)。

 

7 おわりに

上述したように、リングリレー2審判決の意義は、スポーツ中であってもコンタクトスポーツでない場合には他者に傷害を負わせないように衝突を回避する義務があること、そして、スポーツ中に社会的に許容される行動の範囲や通常想定される危険の範囲を従来よりも狭く解したことにあります。

私は、バドミントン事故判決やリングリレー2審判決を通じて、裁判所が損害を公平な分担すべく、従来よりも被害者救済に重きを置きはじめたことは間違いないと考えます。

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために④ ~「人間力なくして競技力向上なし」の本当の意味~

 

1 はじめに

「人間力なくして競技力向上なし」という言葉(スローガン)があります。尤もな言葉として皆さんは受け取られていることと思います。

競技力が向上すれば、人格が形成されたり、人間的に成長したりすること(以下まとめて「人間力の向上」)は、経験的に私たちが知るところだと思います。アスリートが絶え間ない努力を重ね、自らに厳しいトレーニングを課し、鍛錬の中で学びを得て、それが人間力の向上につながれば、これほど素晴らしいことはないでしょう。

ただし、私は、このスローガンについて気を付けなければならない点があると考えています。それは、指導者が、このスローガンを、人間力の向上がなければ競技力が向上しない、すなわち、人間力の向上が競技力の向上の必要条件のように考えてしまうことにあります。

 

2 人間力の向上が競技力の向上の必要条件か

人間力の向上が競技力の向上の必要条件かといえば、そのようなことはないと言わざるを得ないと思います。すなわち、アスリートの人間力の向上がなくても、競技力が向上することはあり得るということです。

競技力の向上に伴い人間力が向上することはよくあることで理想的なことといえますが、人間力の向上が競技力の向上の必要条件とまでは考えるべきではないのです。

そうだとすれば、このスローガンは「人間力の向上は競技力の向上につながる可能性が高い」という意味だと捉えるべきではないでしょうか。

そして、より重要であるのは、このスローガンが誰に向けられたものか、という点です。

 

3 指導者にとってのスローガン

たとえば、街のクラブチームの監督やコーチがこのスローガンのもと、子供たちの指導をするとします。スローガンを文字どおりに捉えれば、人間力の向上がなければ競技力が向上しないので、先ずは人間力を向上させないといけないということになります。子供たちの人間力を向上させるには、いけないことをしたら、ときに叱り、戒め、諭さなければなりません。

ところが、街のクラブチームの監督やコーチには、懲戒権がないのです( https://gohda-law.com/blog/?p=615 参照)。懲戒をせずに、子どもたちの人間力を向上させることは相当難しいことといえます。

人間力の向上は、本来、家庭において親権者が、あるいは学校において教育のプロである教員がなすべきであり、親権者でもなく、懲戒権を有しない、いわば教育の素人である第三者が、スポーツ指導において目標とすべきものではないと考えます。

それにもかかわらず、このスローガンを誤解して、人間力を向上させなければならないとして、懲戒権を有しないのに懲戒をしたり、それが行き過ぎて暴力を行使したり暴言を吐いてしまったりすることが懸念されるのです。

したがって、このスローガンは、指導者によって、指導の内容として実践されるべきものではない、すなわち指導者に向けられたものではないと私は考えます。

 

4 アスリートにとってのスローガン

多くの一流アスリートが語るように、真の競技力の向上には人間力の向上も必要な要素といえそうです。また、アスリートが不祥事を起こしてしまい自らのキャリアをふいにすることを防止し、現役を引退した後の人生を充実して生きるためにも、人間力の向上は必要なものでしょう。

そうだとすれば、このスローガンは、指導者によって他律的に実現されるべきものではなく、アスリートによって自律的に実現されるべきものであり、アスリートに向けられたものであるといえます。

 

5 まとめ

私は、このスローガンは、アスリートにとって、人間力の向上は競技力の向上につながる可能性が高いので、人間力の向上に努めましょう、という意味に捉えるべきだと考えます。

そして、指導者は、自立したアスリートの育成やスポーツを楽しめるアスリートを育てることを第一の目標としつつ、結果的にアスリートの人間力の向上があれば、それはそれで素晴らしい副次的成果が得られたと考えるべきだと思います。

 

 

スポーツ事故の被害者の方々へ ~バドミントン事故判決を踏まえて~

1  はじめに

私が訴訟代理人として一審及び控訴審を担当しましたバドミントン中のプレーヤー同士の事故について、10月29日付け讀賣新聞朝刊にコメントを掲載していただきました。この讀賣新聞の記事を契機として、さらに本件が各社により報道され、大きな話題となっています。

 

そして近時、本件以外の、私が訴訟代理人を担当しましたプレーヤー同士のスポーツ事故案件においても、被害者の損害賠償請求を認める東京高等裁判所の判決を得られました( 東京高判H30.7.19(H30(ネ)1024)、確定)。

 

私の考え方に対し裁判所によるお墨付きをいただいたことはとても喜ばしく思う一方で、報道における私のコメントも紙幅の関係からかなり言葉足らずとなっておりますので、ここで改めて説明を加えさせていただくと共に、スポーツ事故の被害者の方々へ向けてメッセージを送らせていただきたいと思います。

 

2 プレーヤー同士の事故

これまでスポーツ中のプレーヤー同士の事故においては、スポーツ中の事故を特別視し、スポーツ中の事故というだけで、被害者の損害賠償請求が認められないことが多かったといえます。このことが原因で、被害者が泣き寝入りをせざるをえなかった事案は相当数にのぼると考えられます。

これに対して私は、従前から、スポーツ中のプレーヤー同士の事故について、加害者に注意義務違反があれば、違法性を阻却する(違法性を無くする)ことなく、被害者の損害賠償請求が認められるべきあること主張させていただき、本欄でも述べさせていただいておりました( https://gohda-law.com/blog/?p=523 )。

私の依頼者も、何人もの弁護士に相談しても損害賠償請求は難しいと言われ、半ば諦めかけたところで、私の事務所に辿り着いた方が少なからずいらっしゃいます。

 

3 プレーヤー同士の事故における違法性阻却説

弁護士が損害賠償請求について難しいと回答する理由としては、プレーヤー同士の事故においては「著しくルールに反しない限り違法性が阻却される」(違法性阻却説)と考える法曹が少なからずおられることにあると思います( https://gohda-law.com/blog/?p=523 ママさんバレーボール事故判決 参照)。

しかし、スポーツ中の事故であっても、加害者であるプレーヤーに注意義務違反があれば、損害賠償責任を負うという、いわば当たり前の考え方が漸く裁判でも認められ始めたのです。

 

4 批判に対して 

この考え方に対し、よく聞かれる批判は、このような請求が認められるのであれば、思い切ってプレーをすることができずプレーを萎縮させる、ひいては加害者も含めたプレーヤーのスポーツをする権利やスポーツに親しむ権利を侵害する、というものです。

本当にそうでしょうか。

先ず、スポーツをする権利やスポーツに親しむ権利を主張する前に、他者を傷つけてはならない、あるいは傷つけないように注意しなければならない、ということは当然のことではないでしょうか。

そのような注意義務を前提とすれば、人を傷つければ、原則として違法となるのであり、よほどの特別な事情がない限り、違法性が阻却されることはないと考えるべきです。

次に、加害者や一般的なプレーヤーにおける思い切ってプレーできずプレーを萎縮させるという意味でのスポーツ権の侵害と、被害者における事故による全損害の負担や傷害によって被害者はプレーそのものができなくなるという意味でのスポーツ権の侵害を比べてみれば、後者の侵害が遥かに深刻で、後者のスポーツ権を優先的に保護すべきであることは明らかであると思います。

 

5 加害者のスポーツ権と被害者のスポーツ権

スポーツ権の保障について、本件の一審(東京地判H30.2.9、判例秘書L07330064、Westlaw 2018WLJPCA02096006)は、
「ルールに著しく反しない行為である以上、どのような態様によるものであってもそれによって生じた危険を競技者が全て引き受けているとはいえないことは明らかである。……ルールに著しく違反しない限り、違法性が阻却されると解することは相当ではない」
とし、
「一定の危険を伴うスポーツの競技中に事故が発生した場合に常に過失責任が問われることになれば、国民のスポーツに親しむ権利を萎縮させ、スポーツ基本法の理念にもとる結果になるから、本件については違法性が阻却されるべきである」
との加害者側の主張に対し、
「結果回避可能性が認められる場合についてまで、スポーツ競技中の事故であるからといって過失責任を否定することは、スポーツの危険性を高めることにつながりかねず、国民が安心してスポーツに親しむことを阻害する可能性がある」
としています。

 

6 判決の評価と報道について

私ごときが判決を評価するなどおこがましい限りですが、一審の判決書の上記箇所を読んだ時の感動は忘れられないものがあります。長らく我々原告側が訴えてきた主張を正面から認めてくれたからです。その意味で、一審判決は画期的な判決であり、控訴審判決に劣らない先例的価値があると思います。

そして繰り返し私が主張してきました、スポーツ中のプレーヤー同士の事故においては、原則として違法性は阻却しないとした上で、損害の公平な分担の見地から、過失割合の判断の中で様々な事情を考慮して加害者の責任について判断すべきであるという考え方が採用されたものと考えています。

控訴審においては、このような考え方を前提として、過失割合を検討したところ、被害者には過失がなく、過失相殺をすることは相当ではないとしたため、認容額は増え、より被害者救済に資する判決となっています。

ただ、報道においては、控訴審が過失相殺をしなかったことだけが大きくクローズアップされる傾向があり、このままでは過失割合の話に終始し、上記画期的判断の意義について、見失われかねないことを懸念しています。

 

7 控訴審判決書(東京高判H30.9.12(H30(ネ)1183))について

控訴審判決(東京高判H30.9.12(H30(ネ)1183))については、裁判所ホームページの裁判例情報( http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/216/088216_hanrei.pdf )及び各種判例検索サイトに掲載されておりますので、ご参照ください。

なお、上記のように、控訴審判決は基本的には一審判決を踏襲した上で、過失相殺について

「損害の公平な分担の見地から、本件事故により生じた被控訴人(被害者)の損害の一部を同人に負担させるべき事情が同人側に存在すると認めるに足りる証拠も見当たらないから、過失相殺ないし過失相殺類似の法理により本件事故により生じた被控訴人の損害の一部を同人に負担させる理由はないというべき」

としています。

 

8 保険・補償制度について

先にスポーツにおけるプレーの萎縮について触れましたが、プレーの萎縮を避けて一般プレーヤーのスポーツ権を確保しつつ、被害者の救済及びそのスポーツ権を保障することをも考えるならば、保険制度や補償制度の整備について真剣に検討すべき時が来ているのではないでしょうか。
国も、スポーツ基本法において、スポーツ立国を標榜するのであれば、スポーツにおける保険制度や補償制度について、国を挙げて早急に検討・対応すべきだと強く思います。

 

9 最後に

プレーヤー同士の事故に限らず、スポーツ事故において傷害を負わされた被害者の方々へ向けて、以下の言葉を贈りたいと思います。

「決して諦めないで下さい。容易い道ではありませんが、裁判所の門戸は開いています。」

 

 

 

 

「指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために③〜体罰と暴力等不適切行為〜」

1 はじめに

「指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために」と題し、第1回目は「相談件数の増加について」、第2回目は「暴力等不適切行為とその行為者類型」を述べてきました。

 

今回は、これまで述べてきた「暴力等不適切行為」と対比しながら、「体罰」に焦点を当てます。一般に、「体罰」は、「暴力等不適切行為」とほぼ同じ意味で使われています。しかし、法的には、両者は異なるものだといえます。今回はこのことを詳しく説明していきたいと思います。

 

2 体罰とは

「体罰」という文言は、学校教育法11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」に登場します。

 

この規定から、校長や教員(以下、「教員等」)は懲戒権を有していること、教員等は「体罰」を加えてはならないことが分かります。これらのことから、「体罰」は、行為者に懲戒権を有することを前提として、懲戒権の範囲を超えた行為に使われる文言だということになります。

 

ここで「懲戒権」についても触れておきます。そもそも「懲戒」とは、不当・不正な行為を再び繰り返さないよう制裁を加えることをいいます。そして、法律上、懲戒をする権限である「懲戒権」を有するのは、教員等および親権者(民法822条)のみです。したがって、教員等が教育の一環として懲戒を加えること、あるいは親権者が子の監護・教育の一環として自らの子に懲戒を加えることはできても、それ以外の者は一切の懲戒をすることができないのです。

 

スポーツの現場で、たとえば部活動において教員等が指導者として懲戒権を行使することは多々ありえますが、指導者が親権者であり、自らの子のみに監護・教育の一環として懲戒を加えること(他の子に対しては当然懲戒権を有していません)は極めて稀といえるので、本欄では懲戒権を有する者として、教員等のみについて考えます。

 

3  どのような行為が体罰にあたるか

体罰が法的に上記のように考えられるとして、具体的にどのような行為が体罰にあたるのでしょうか。

 

この点について、文部科学省が、通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」(平成19年2月5日初等中等教育局長通知(18文科第1019号))により、以下のように定めています。

「教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の 発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要があり、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、 蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・ 直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。」

 

この文科省の「体罰」の定義は極めて分かりづらいものとなっていますが、要は、ある程度の指針は示せるが最終的には事案ごとに状況を踏まえて総合判断しなければならないということです。そしてこの定義を踏まえて、東京都「体罰の定義・体罰関連行為のガイドライン」によれば、教員等による「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」といった行為は、その他に特段の事情がなければ、懲戒権の範囲内であり、体罰には該当しないということになります。

 

4 体罰と暴力等不適切行為との相違

さて、上に述べた「体罰」と前回まで説明してきた「暴力等不適切行為」との相違はどこにあるのでしょうか。

 

ひとつは、同じ行為でも、行為者が懲戒権を有しているか否かにより、体罰であるか否か、が異なります。すなわち、法的には、体罰は懲戒権を有する者しかなしえないのであり、街のスポーツクラブの指導者が暴力を振るっても、それは体罰ではなく、単なる暴力であるということになります。一般的には、懲戒権を有しない指導者の不適切な行為を体罰と表現されることも多いですが、法的に厳密に言うと、正しくないということになります。

 

もうひとつは、教員等の行為が、懲戒権の範囲内であり、不適切といえない場合でも、懲戒権を有していない者が同様の行為を行えば、それは不適切であるとされる可能性があるということにあります。よって、懲戒権を有しない指導者の不適切な行為の範囲は、体罰とされる行為の範囲を包含する、より広い範囲であると言えます。

 

5 まとめ

重要なことは、懲戒権の範囲内であるとされる、教員等による「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」などの行為も、懲戒権を有しない指導者が行った場合、不適切な行為とされる可能性があるということなのです。このことから、懲戒権を有しないクラブチームの指導者は、その意味で教員等よりも指導として行える行為の範囲は狭く、被指導者に対して制裁(懲戒)を加えることはできないということを肝に銘じなければなりません。

 

次回も続いて、この問題について検討したいと思います。

 

 

 

 

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